伯方島まにまに日記

芸大卒業後に愛媛県伯方島に移住した23歳女のおしゃべりです。

この日、思い出すこと。

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 こんにちは!

初回の記事から、結構たくさんの人に読んでもらえたみたいで感激です。

こりずに、今後もぜひお願い島ス!(でた)

 

さて、お盆真っ只中の今日は終戦記念日

伯方の役場でも、黙祷をしました。

(写真は、2003年?日比谷公園イラク戦争反対デモで、明らかにカモでしかない「平和のハト」の絵を持つ、思想が強い小3の私です。また何か食べてます。)

 

 そういえば、この前の土曜日に、生口島瀬戸田映画祭にフラッと出かけてきたんですが、その日は「瀬戸内少年野球団」の上映で、映画のオープニングは、1945年8月15日の玉音放送のシーンからでした。(あの映画、オープニングがいいですね)

 私の場合、毎年、この日には母方の祖父のことを思い出しています。私が中学2年生の時に亡くなった、こさじいさん。

 太平洋戦争で、パプアニューギニアに出兵して、3年間の捕虜生活の後に日本に帰ってきた人です。私の世代になると、じいさん世代が戦争体験者(当時青年だった)という人はなかなかいなかったので、私は祖父のパプアでの話とか、先住民族の歌とか、そういうのが好きでした。陸軍少尉だったこさじいにとって、あの異国の地での戦争を生き延びたことは自らの武勇伝であると同時に、その後の人生にこびりついて、こすってもこすっても取れないような強烈な体験だったのだろうと思います。

 こさじいが、私が生まれる年にワープロで書いた「おじいさん一代記」という、ナイスなネーミングセンスの自伝のほとんどは、太平洋戦争での戦歴でした。

 「捕虜生活を終えて、日本に帰国する船の中で、恋しい我が家を思い出していたら、みんなの顔が思い浮かんだのに、唯一、末の弟の顔が出てこなくて、「もしかしたら」と思ったら、やはり戦死していた。」という話があって、そこが妙に生々しく、悲しい部分だなあ、と思いました。(母の実家には、お盆になるとりゅうろうさんという十代の青年の遺影が飾られますが、それが彼です)

 

「徴兵の知らせが来た時は、これで自分もお国のために戦える!と嬉しかった」という、軍国主義教育のテンプレートのような少年時代を送り、戦線と戦後を経験したこさじいから、私が直接聞けなかった部分を想像しています。

 面白おかしく話す、その口や目の端々に何か隠されたものがあったのではないかと、私は未だに考えたり、怯えたりして。

 よく悪夢を見る人で、一度、強盗に襲われる夢を見て、喉元に迫る相手の手首を全身全霊で握って激しく抵抗し、夢から目覚めると、自分の左手首に紫色の手形のあざがついていたという事件がありました。

 当時は、うちのおじいちゃんはおかしい!と笑っていましたが、私は、きっとこれもこびりついて剥がれない物の一つだったのではないかと今、なんとなく思ったりします。

 

 私が引き継いだ戦争のリアルなんて、たったこれっぽっちのことですが、せめて8月15日の今日は、こんなこれっぽっちを思い出して眠りにつきます。

 この国に、二度と戦争が起きませんように・・・。

 

 

 今日は地域おこし協力隊の仕事とか活動の話とか面白おかしくしてみようかなと思ってたんですが、年に1回はこの話がしたい私なのです。笑

 退屈を許してください。

 

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伯方島の歴史公園から見下ろす、木浦港沖。

1945年11月には、ここで第十東予丸転覆事故が起きて、397人の人が亡くなったと聞きました。船は、尾道から今治へ向かう旅客船で、乗客の多くは済州島からの復員兵だったそうです。

 正午の黙祷の時、故郷を目前にして海に沈んでいった東予丸のことも、思い出していました。