伯方島まにまに日記

愛媛県伯方島に移住した25歳女の日々のおしゃべりです。

アートとは何か??またちょっと考えています。

こんにちは。

今日は、

今まで、極力言及を避けてきたアートの話をちょっとだけしようと思います。

アートに興味がない、ご縁がない人も、面白い話ができるかは分かりませんが、良かったら読んでみてください。(注意:多分めっちゃ長くなります)

 

私自身、

小さい頃から絵を描いたり、粘土をいじったりするのが好きで、結局二十歳をすぎてもアートという分野にアンテナを張って関わりながら生きてきたってのに、「アートとは何か?」という素朴な疑問に自分なりの回答が出せていないという歯がゆさがありました。

「本当はこんなに面白いんだよ」と確信していながら、しゃべりだしたとたん、その面白さを抹殺してしまうような危うさや、結局「絵がうまいっていいね」「才能だね」と言われてしまうだけの悲しさを、語らないこと、触れないことで避けていたという経緯があります。

 

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「アート」という言葉がカッコつけているように聞こえるんじゃないか、とか、関わりのない人からしたら遠い所に重きを置いている人間に思われてしまうんじゃないかとか、そんな風に思うこともあります。

でも、1人になって冷静に考えてみると、アートが世界の見方を変えてくれたことは疑いようがなく、島で見ている、細やかな波の形や、空の色、風の温度感は私の触覚をくすぐって、アートのフィルターを通して、ひとつの壮大な作品の中にいるような感覚に変わっていきます。

この波形を、木版画で表現しようとしたら、いくつの版をどんな風に組み合わせたらいいだろう?

写真じゃ伝わらないこの空の色は、何色と何色を混ぜれば伝わるだろうか?

静かな池の脇に立って木枯らしに吹かれるときの言葉にできない気持ちを、どうしたら誰かに分かってもらえるかな?

 

そんな風に、取り巻く世界を自分の身体や五感のものさしで照らしあわせて見ることそのものが、実はひとつの答えだったんじゃ・・・・???と、やっと最近気づいたような気がします。

言いたいのはつまり、アートとは「見え方の提案」なのではないかということです。

 

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大学の卒業式の式辞で、哲学者の鷲田清一学長が長田弘という詩人の言葉を紹介してくださいました。

『見えてはいるが、誰も見ていないものを見えるようにするのが、詩だ』。

この「詩」の部分を、鷲田さんは「哲学」に置き換えて読んだそうです。

そして、これは「芸術」にも置き換えられるのではないかと、お話されました。

 

他にもすごくいい事をおっしゃっています。

よかったらこちらから。

平成28年度学部卒業式並びに大学院学位記授与式を開催 | 京都市立芸術大学

(注:化け物屋敷のような卒業生の写真の中に、フリーダ・カーロの仮装をしている私もいます)

 

私は学生時代、幼少期の記憶をテーマに版画作品を作っていました。

大人は、「大人になれば分かる」というけど、実際に大人になってみると、子どもの頃にしか見えなかったものが沢山あったような気がして、成長とともに失う世界を、まだ若いうちに留めておこう

という、今思えば、結構後ろ向きな制作をしていました。私は自分の中にある「記憶の像」にばかり囚われて、その風景やものが美しく再現できない事に苦しみました。「記憶とちがう」「もっと素敵だった」と思うほど、小さい頃の自分に今の自分が叶わないような気がして、創作の自由な気持ちがどんどん塞いでいく、苦しい時期がありました。

そんなときに、担当の先生が、「有吉さん、周りにある草とか木とか、スケッチするように彫刻刀で彫ってみたらど~う?」って提案してくださって、学内の植物をダイレクトに彫る、スケッチみたいな仕事をやってみました。

そうすると、足元にある自然のカタチがものすごく豊かなことに気がつきました。いつも見ていたイチョウの木の枝なりひとつとっても、グネグネと腕を広げていくパワーや溜め込んだ時間がひとつの面白い形になって私を見おろしているという不思議。

それを見ながら、自分はただ単に「記憶」を再現したかったんじゃなくて、小さい頃に五感で感じていたすごーく小さな小さな、でも震えるような感動を、またこの身体で感じたかったんだな、と自分の目的をはじめて知った気がしました。

 

それから、色んなものの見方が変わりました。自然の生み出すカタチはどこまでも予想外で、こんなものが普通に世界に転がっているのに、私が何か作った所で、その辺の雑草にも及ばないよな、と途方にくれる日もありましたが、「何かつくる」というレンズ越しに見る世界は、〈見えているのに、誰も見ていないものを見えるようにする〉という言葉にピタリと当てはまるような感じがします。

 

それでも、私は卒業するまで、やはりアートとは、出来上がった作品を見る人がどう感じるかに意味があるものだと思っていました。もちろん、それはすごーく大事なことで、結局、見る人がいるから私はアートに対してモチベーションを維持できたわけなんですが、地域おこし協力隊となって、島に移り住んで、作品も作らなくなってみると、自分にとってアートとは何だったのかとまた考えるようになりました。

 

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そして最初の話に戻りますが、アートは難しいことじゃなくて、「見え方の提案」なんじゃないかと、もっとカジュアルに考えられるようになりました。自分が今生きている場所をもっと楽しむための虫眼鏡みたいなものでいいやん。みたいな。

 

 

そんなことを1人で考えていた最近。

今年は何か新しいチャレンジとして、島でアートのワークショップをやってみたいな、と思っています。

いつも見ているものが、今日はちょっと違って見えることが、すごく面白いということを体験してもらえるようなもので、絵を描くのが得意とか苦手とか関係ない、もっともっとシンプルなやつを。

子供向けなら、例えば、その辺の道で歩きながら拾ったお気に入りのものを集めて、台や額を作って「拾い物美術館」をしてみたり、まちで目に留まったもので「いくつあるのか分からないもの」を数えて、発表しあうというのも面白そう。浜辺のゴミでオブジェを作ったり、手作り楽器の演奏会をしたり、、、妄想ははかどるな~(笑)

アートの島として外向けではなく、内向きに何か面白いプロジェクトが興せたらいいな、と思っています。

それのどこが地域おこしなんだ!と言われるかもしれませんが、ハッキリ言って、伯方島は結構まちで、島内に仕事もあるし、外国人観光客も多いので、外から人を呼ぶんじゃなくて、これから先、島から出て行く人を減らすこと、あるいは一度出て行った人が帰ってくる「故郷」をつくることが必要じゃないかと私は思っています。

子どもたちにとって、島の中で「何か面白いものを作った」「面白いものを見つけた」という豊かな体験をする時間が、いつか故郷を思い出すきっかけになるんじゃないかと思ったりするのです。

 

私が小学3年生のときに担任だった宇佐美先生は、臨時で1年だけやってきた若い男の先生で、自宅には素敵な陶芸の工房がある、本職がものづくりの人でした。

クラスメイトがたった10人だった私たちは、外遊びが好きで、よく裏山に行って秘密基地を作ったり山登りをしていたんですが、友達がねんど土の出る場所を見つけたことを先生に教えたら、先生が、じゃあ皆で掘りに行って何か作ろう!といって、皆でそこに出かけました。

学校に帰ってきてからその土をこねて、オリジナルの土の鈴(まるめた新聞紙の中にねんどの玉を入れて、その回りを覆うようにねんどでくるむという基本構造で、高熱で焼くと中の新聞が灰になって、中からコロコロ音が出るというもの)を作って、焚き火をおこして、焼き芋みたいにじりじり焼いてみました。うまく焼きあがったときのうれしい気持ちは、その工程や、豊かな自然の背景と一緒にたまに思い出してしまいます。(今思えば、若い先生だったのにすごい楽しいことを思いつく人でした!)

 

 まあ、私はおずおずと山から島へと出て行ってしまいましたが、私が「幼少期の記憶」に執着していたのも、単純な望郷の念だったのかもしれません。

 

最近の日本の教育方針では、芸術分野はどんどん縮小されているようです。

本当にアートはいらないものなんでしょうか。生活に関係ないものでしょうか。

1人でゼロから計画し成し遂げるというプロセスを実践できる科目は他にないような気がします。

世の中には、星空が美しいという人がいれば、ドブネズミを美しいという人もいて、私の亡くなった同級生はゴミの溜まった排水溝が美しいと言いました。

あらゆるものごとの多様性や価値観を認めるものがアートの特性のひとつだとすれば、これからの時代に必要なのは、「あっちは間違っている」「こっちが正しい」という、道徳に成績をつけるような教育ではなくて、「みんな違う」を面白がれる心のゆとりを作ってあげる必要があるんじゃないかと思ったりします。

 

一度、つくる側から離れてみると、見えてくるものもあるんだな、と少し冷静な私がいる分、今までうまく言語化できなかった私の好きなアートのことを、少しでも伝えられたらいいなと思ってブログに書いてみました。

 

案の定、すごく長くなっちゃったので、あくびして寝ちゃった人もいるかもしれませんが(笑)、それでもちゃんと最後まで書けてよかったです。

もちろん、アートの考え方は人それぞれで、決まった答えはないですよ。

そこも含めて、アートが好きです。

少しでも伝わったかなぁ・・・

 

また次から平常運転に戻ります。

 

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