辛いときこそユーモアで語ろう、綴ろう
去年、女性林業研究グループの総会で、島のおばちゃんたちについていった私。名前が1ミリも思い出せないけどものすごく風情とセンスが溢れている邸宅(?)を見学したり、島では珍しい川と古い街並みのある風景を楽しみました。(すごく良かったのに何も思い出せない悲しみ・・・)
そして今回の研修会で大洲再訪。よくここで開催断念しなかったな!ってぐらい道が崩れてたり、1階丸ごと浸水した家が立ち並び、ビクビクしながら協力隊研修定番のオンボロハイエースで突き進む道中でした。
2ヶ月前はどれだけ悲惨な状態だったろう・・・と思うと胸が痛いです。
それでも、酸素濃度の高さを感じられる山の匂いに癒され(とても懐かしい匂い)、内子の道の駅「からり」のビュッフェやジェラートも楽しめたので研修の割にとても満喫できました。(結局飯)
欲をいえば、温泉も行ってみたかった・・・(欲をいうな)
実は、協力隊プロフィールにも書いていた通り、2年目の協力隊活動は悩み多き日々で、今回の研修会にはグチを持ち込む気まんまんだったんですが、賑やかでクセがすごいメンバーの前にして、すっかり忘れてしまいました。
ゴールデンウィークの京都駅で「はぁ?なんでこんな人多いわけ??みんな馬鹿の一つ覚えみたいに京都きて笑っちゃ〜う」と思いながら、自分もその群衆の1部であることに気づかない、という事態が5月にありましたが、まさにそれです。協力隊というクセで構成された集団の一片であることを忘れてはいけない。(なんの話)
こうして集まると共感することもあるし、全く違うことも多い、協力隊の日々。ケースバイケースではあるけれど、能動的にクリエイティブに頭を働かせないと、どんどん「やるべきこと」がすりガラスの向こうに消えていくような、そんな毎日です。
1年目にまいた種を、2年目で丹念に育てなくてはいけなくて、それなのに、その上からまた別の種をまいているような、それで「自然農法なんで!」と草ボーボーのまま満足しているような、ぐちゃぐちゃな状態と言ったら分かりやすいでしょうか。(もはや分かりにくいです)
壁にぶちあたる、とか地域の人に怒られた、とかはないけど、なんとなくボンヤリ悩んでいる最近の私なのです。
「辛いときこそユーモアを忘れないで」
そんな言葉を樹木希林さんが言っていました。
これは真理だな、と思います。
樹木さんと何度も作品を共にしている大好きな是枝裕和監督も、エッセイの中で、
「人は喪の途上にあっても創造的でありうる」
という言葉(これもある人の文の引用で大事にしている言葉だそうですが)を使っていました。
よく芸人さんが、自分の親の死とか大怪我をしたエピソードを、おもしろ話として披露するところを見ると、披露する場所があるということが、心の支えにもなるのだろうな、と思います。
私も、絵であれ、木版画であれ、文章であれ、どんな形であれ、表現をする人でいたいと最近は特に思います。こういうブログがあることも今の私にはとても大切なのです。
だから、協力隊活動や、島での日々の中で、辛いときや苦しい時、寂しい時には、人に笑ってもらえるような文章が書けるようになりたいです。
ほんでそういう話の方が、多分みんな好きだよね。
私も好きです。
だから、
これからもブレブレな自分を笑いながら絶望して生きていこうと思います。
そろそろ死に場所を探している実家の猫クロベイくん。(嫌がる体力がないだけで、すごく嫌がっている)