師走の仕事納め
じゃーん!
アートの基地しましま第2回で行った〈タイルアートDIYワークショップ〉で子どもたちが縦横無尽に貼りまくったかわいいタイルちゃんたちが先日やっと目地入れまで終わりました。ぐううう~・・・とてもかわいい・・・
こうなると他の部分が相変わらずグレーなコンクリなのが気になるので、年明けに他の所もやってみよう。そうしよう。
使用したタイルは全て、岐阜県多治見市のSUGYタイルさんからいただいたB品です。B品だなんて信じられないくらい可愛くてオシャレ。
実はそのタイル屋さんに勤める私の大学の同級生みおかちゃんが、当日のワークショップにも参加してくれました。
タイルはピッタリ敷き詰めてはいけないこと!(もろくなってしまうので)
との教えを受け、みんなでペタペタしたのでした。
本当に、貼るだけなら誰でもできるので、小さい子でもタイルワールドを楽しめること、これ発見。
で、後日、大三島の協力隊・森さんと、Grian工房のお2人と一緒に目地入れしていきました。
森さん「えーと、これが○○グラムだから・・・水を○○ccか。ん?いやいや合ってるよね?」
有吉 「・・・・はい、合ってます(何も考えていない)」
という具合で、かしこい人が一緒にやってくれるとなると、一気に脳の活動が停止する病気なので、森さんに教えられるがまま、目地入れ作業をしていく私。(飲食店で割り勘の計算、できる人の言われるがままに払う女、それが私)
目地入れ作業に関しては普通のピシーっとシートになっているタイルとはちがって、厚みも大きさもバラバラなので、とっても時間がかかりました。そして鬼難しい!
う~ん・・・かわいい!って手がかかるわ・・・まるで赤ちゃんのように・・・(1ミリもうまくない)
あまりにも時間がかかってしまったので2回に分けて目地入れをして、ワークショップで作った部分はなんとか完成しました。腕を組んで色んな角度からじーっと見ちゃうくらい可愛くて飽きの来ないタイルアートができました。(パチパチパチパチ~)
さて、話はかわって、おととい、はかた児童クラブのみなさんと一緒に、大慌てでお騒がせしていたクラウドファンディングのリターン用の天井画を制作しました。
今までは鎮守の杜が会場でしたが、はじめて大規模な出張制作。
伯方島のしまなみ交流プラザというピカピカの新施設を使うということもあり、内心ヒヤヒヤしていましたが、先生たちが本当に上手にこどもたちを誘導してくださって、シミひとつない完全な現状復帰で撤退できました。ありがとうございました!泣
リターンの天井画は、支援者さんのお名前が入りますが、一部リクエストしていただいている人には、子どもたちが精一杯答えて絵を描いてくれました。
とにかく全部いいので、楽しみにお待ちください!
絵を描き始めるやいなや、怒涛の「かなこ先生」コール!いつから先生になったかはさておき、
「かなこ先生、星が描きたい」
「おう!いっぱい描きなぁ~!」
「かなこ先生、緑と青と茶色混ぜたい」
「やめときなぁ~!」
「かなこ先生、こんな風になった」
「ええや~ん!」
という、先生と言うわりに雑すぎるコメントに子どもたちもさぞ困惑していたことだろう・・・・。
中には「もう変なんなった~もうやだ~」と言う子もいます。そういう子がいるのは当たり前!だって私も作品作ってると思うもん。
「も~やだ~!なにこれ!!!思ってるのと全然ちがうじゃん~!やめたい、家に帰りたい」っていつも思うもん。
で、そこで生みの苦しみと対峙してちゃんと完成させられる子の絵って、やっぱり完成度高いものになるんですよね。
「もうどうでもいい」ってちゃちゃーっと雑に終わらせちゃうか、ねばるか。こういうのって何でもそう。勉強でもスポーツでも。
そして毎回毎回、仕上がってくるものが、私の想像をはるかに超えてくるので、いい体験をさせてもらっているな~と1人で作品を並べながら思っています。
(まあしかしいつもは準備片付けを数人でやっていたところを、今回は私1人だったので、帰りフラフラでした笑)
あ~しかし諸々年末に終わらせられて本当によかった。
ご協力してくださったみなさんありがとうございました!
まだまだ悩み多き2年目の私ですが、新しい年を笑顔で迎えて、また1年頑張りたいと思います。
それではみなさま、よいお年を~~!
ありがとう2018年
「気がつくともう年の瀬」
「はやいな~あっという間でしたね」
「寒くなってきて師走って感じですね」
近頃はどのラジオ番組をつけても、オープニングはこんな感じです。
確かに、1年をひっくるめて考えれば「早い」と感じるのだけれど、じっくり振り返れば「長かった」と感じることも多いと思います。
「協力隊の1年は早い!」という人が多いので、なんとなく「ですよね」と相槌をうっているのですが、長い間、絵を描いて、たまに勉強して、たまにバイトして・・・程度の生活しかしていなかった私には、毎月毎月まったく経験したことの無いイベントが控えているというこの生活は、悩ましくも楽しく、かなりスリリングで、こうして1年を
振り返れば、3年分くらいの話にも思えてしまうわけです。
控えめに言っても私の中ではなかなかハードな1年だったと思うのですが、どうだろう。
しかしながら近頃思うのは、今みたいに目の前にふっ飛んでくる色んなボールをいちいち一所懸命に返していたら、10年後の私も今とほとんど変わらぬ状態で同じようにバタバタ駆け回っているだけになってしまうのではないかと怖くなります。
先日24になったこともあり、何か軸を決めて、1つのことを10年続けたいと思うようになりました。自分はこの道ではプロだ、と確信が持てるような何か。
飽き性だけど、せっかくの人生なので、かっこいい仕事がしたいな~とかなんとか。
ひとまず仕事終わりに、1時間、木版画を触る時間を作ろうかな、と思うのですが、仕事のあとはデザインとアクセサリーの仕事と習い事が山積みで、広げた風呂敷の広さに泣けてきます。
でも最近は、徐々に、やっと、自分のデザインにもちょっとだけ自信が持てるようになってきました。
今までは本当に素人根性丸出しで、ダメだな〜と思いながらもなんとか作っていたものが、最近はちゃんと楽しいというか、ちゃんと可愛いというか、デザインというのは、なかなか見所の多いものだな〜と驚いたりしています。
スタイリッシュなものを作れないことや、人の記憶に残るようなひねりの効いたデザインなんて思いつかないことばかりが「デザインが下手」というセルフジャッジの理由になっていたのですが、
「今までで1番いいものができました!」という言葉とともにデザイン料をいただいたり、自分のデザインが沢山の人の目に触れていく中で、だんだんと自分「らしい」デザインが何か分かってきたような気がします。
これってとっても嬉しいことです。
だから2019年はもう少し堂々としようと思っています。
特に秋は色んなことがあって、精神的にも体力的にもぐーっと疲れてしまったのですが、年末しっかり休んで、最終年に向けてまた歩いていこうと思います。
新しい伯方島をつくる!
数ヶ月まえに作ったホームページにて伯方島のイベント情報を集約しています。
イベントを載せて欲しい方がいれば、島内の情報に限り、掲載させていただきます。
頑張って更新していくので、ぜひチェックしてみてくださいね〜!
アトリエmanimaniのアクセサリー通販してます
とにかく今は時間がなくて作るだけで精一杯ですが、徐々に作品強度も上がってきた感あるので、自信をもって販売していきたいです。
イベントの出店や、もう少し生産ができるようになれば委託販売も考えています。
よろしくお願いします。
20代の移住について真剣に考えはじめた
バブルが弾けて
地下鉄サリン事件が起こる数ヶ月前、
不穏すぎる空気の中に生まれ、人並みに幸せな幼少期、思春期を送り、小学2年生の時から突然土曜日の登校が無くなり、勝手に「ゆとり世代」なんて呼ばれながら大人になってきた私。というか多くの同世代皆々様。
最近悩んでいます。
まじ、移住ってなんですか???
移住って言い方なんなんですか???
お願いします。一緒に考えてください。
まず私の中の「移住」という言葉から連想するイメージがこれだぁあ
ワン・トゥッ・スリ
・都会→田舎
・古民家リノベ
・有機、自然農法
・独特なナリワイ
・健康的な暮らし
・子供がいるorパートナーがいる
はい、でしょ?これだよね?わかるよね?(うざすぎ)
これはね〜〜
私の独断と偏見、と言うよりも高校生の時に一家で移住し、移住生活の辛酸をぺろぺろ舐めまくった結果、大変なことになってしまった有吉家のここ7年のストーリーの中でどれだけこういう移住者に出会ってきたことかっていう話でしてね。
どの移住家族も目指していたのは、上にあげたような「移住」なんですよね。
わかるわかる。わかるよその気持ち。だってうちもそうだったし。
(高1の時、移住した徳島の家から見えた主な景色)
で、「移住」と聞くと自然にそういう思考になってしまうから、今の私は移住者じゃないし、島の人も移住者とは思ってないような気がしてしまうのです正直。
ブログには「単身移住した女」みたいなこと書いてるくせにね。ブログ訪問者増やすために言ってんの。都合いいね。
そもそも移住って、移り住むって言葉のはずなんだけど、島生まれの子が大阪に移り住むことを「移住」とは誰も言わないし、「最近、梅田のマンションに移住して・・・」とか言われたらなんか「ん???」てなるし、
徳大の田口先生も言ってましたけど、近頃の「移住」と言う言葉の中には結局、多かれ少なかれ「都会から来てあげる」感がプーンと香ってくるわけなんですよ。(不快になった人いたらごめんなさい)
かといって、移住という言葉を使わずに、「高校の時に徳島に越してきたので」とか雑に説明すると、「え〜転勤とか?」という我が家の会話で一度も使われたことのない単語が飛び出し、それは違う違う!!!と、大慌てなので、仕方なく、
「家族で移住したんです。うち変わり者なので」
という丁寧な説明(どこが)をしないといけなくなってしまうわけなんです。
「移住」と言うと、なんとなく突っ込んだら話が長くなりそうな雰囲気を相手が察してくれて話が早いという一面もあるので、この言葉には本当に助けられている一人ではあるんですが・・・
で、ここからが本題。
今は、島のアパートに住んでいる私ですが1年半後の協力隊卒業と同時に退去しなきゃいけないのです。
私は、着任当初から、「もうずっと島に住むんでいいや〜」とぼんやり思っていたんですが、じゃあ何で食べていく?じゃあどこの家に住む?ってことになってくると精神と時の部屋に意識がトリップして、無の時間到来。(つまりノーアイデア)
特に最近考えているのは家のこと。
私、平成生まれだからさすがに家のトイレがブラックホールはちょっと・・・
前住んでいたばあさんの私物まみれなのもちょっと・・・
しょっちゅう草刈りをしないといけないぐらい広い庭もちょっと・・・
ゴキブリの卵を剝がすところからはじまる引っ越しもちょっと・・・
雨漏りだったり床がメキメキいうところがあるのもちょっと・・・
家が大きすぎるのもちょっと・・・
という風に、ちょっと・・・が止まらないゆとり世代。
ちなみにこれ全部、徳島の家の話なんですけどね。(まじか)
で、私リノベーションとか好きかわからないし(多分苦手)、
古民家リノベ住宅はステキだし憧れるけど、その後起こりうるであろうトラブル(経年劣化)を考えると普通に一人では受け止めきれる気がしないし、
まだ23歳独身でちゃんと結婚願望もあるから「古い家に住んでる変な女」として奇異な目で見られたくないし、って思い出したら、なんかバカバカしくなってきて、
もういいか、埼玉か徳島帰るか、って一瞬頭をよぎるんだけど、家族で移住したせいで、もう「ふるさと」とか「生まれ育った家」には帰れなくなってしまったという現実を思い出して絶望し、
実家のない埼玉や徳島に全く興味も持てず、
そんな時にふと見上げる島の夕日が絶句するほどキレイだったりして、
やはり伯方島に住むという選択もいいな〜と思い直すことの繰り返し。
はあ・・・困った。
いやまてよ?
伯方島みたいな産業の島で、小学校の全校生徒が200人ぐらいいる賑やかな島で、わざわざ隠居老人のように家庭菜園をしてロハスな食事をインスタにあげ続ける必要はないんじゃないか?
別に終の住処を探しているわけじゃあるまいし。
今まではそれじゃあ移住する意味がない、つまらないと思ってきたけど、逆に「移住=自然派な生き方」イメージもそろそろ飽きてきたっていうか。
さてどうしようか。
何しようか。
モヤモヤは晴れない日々です。
そんなわけで「20代独身の移住」の面白いアイデアを探しています。
仲間がいたら教えて欲しいです。
台風24号を呪う女
台風、次から次に来てますけど・・・
ずーっと準備してたアートイベントとしまパサール、嬉しい同時開催もダメになり、頭真っ白〜〜〜
一方、しまパサールの方は早々と延期日が決定しましたが、毎週末イベントモリモリな秋のシーズンに差し込むのは不可能というもので、結局12月に。(おかげで改訂版フライヤーもクリスマス仕様)
12月9日・・・
協力隊募集説明会&移住フェアin東京!
言うても、久々に家族や友達に会えるのでとても楽しみにしているのだけど、しまパサールも去年、振り返りブログを書きながら泣いたレベルで大好きなので、もう残念を100回言っても足りない・・・悲しい・・・
アートの基地しましまの方は、芸大生が来れる日と私の予定とのすり合わせに難航しておりまして、まだ日取りが決まってませんが、
多分初回は10月21日のワークショップになると思います。
9月30日におしゃれ女子が来て華やぐオープニングを迎えるはずだった当イベント、繰り上がりで初回になってしまった10月21日(日)は、キャラ濃すぎて喉が乾くメンズが来ます。(※例のラグビー部仲間)
基地の中に入れない人(放送禁止用語)も混ざっているので、呼びつけておいて、ごめんだけど、初回に成り替わるとなると不安でしかねぇ・・・笑
もう〜〜〜〜予定がいっぱい変わってしまったなぁ。
どうなっちゃってんだよ?(岡村靖幸風)
憎き台風24号め。末代まで呪ってやるからな。(台風の末代とは)
辛いときこそユーモアで語ろう、綴ろう
去年、女性林業研究グループの総会で、島のおばちゃんたちについていった私。名前が1ミリも思い出せないけどものすごく風情とセンスが溢れている邸宅(?)を見学したり、島では珍しい川と古い街並みのある風景を楽しみました。(すごく良かったのに何も思い出せない悲しみ・・・)
そして今回の研修会で大洲再訪。よくここで開催断念しなかったな!ってぐらい道が崩れてたり、1階丸ごと浸水した家が立ち並び、ビクビクしながら協力隊研修定番のオンボロハイエースで突き進む道中でした。
2ヶ月前はどれだけ悲惨な状態だったろう・・・と思うと胸が痛いです。
それでも、酸素濃度の高さを感じられる山の匂いに癒され(とても懐かしい匂い)、内子の道の駅「からり」のビュッフェやジェラートも楽しめたので研修の割にとても満喫できました。(結局飯)
欲をいえば、温泉も行ってみたかった・・・(欲をいうな)
実は、協力隊プロフィールにも書いていた通り、2年目の協力隊活動は悩み多き日々で、今回の研修会にはグチを持ち込む気まんまんだったんですが、賑やかでクセがすごいメンバーの前にして、すっかり忘れてしまいました。
ゴールデンウィークの京都駅で「はぁ?なんでこんな人多いわけ??みんな馬鹿の一つ覚えみたいに京都きて笑っちゃ〜う」と思いながら、自分もその群衆の1部であることに気づかない、という事態が5月にありましたが、まさにそれです。協力隊というクセで構成された集団の一片であることを忘れてはいけない。(なんの話)
こうして集まると共感することもあるし、全く違うことも多い、協力隊の日々。ケースバイケースではあるけれど、能動的にクリエイティブに頭を働かせないと、どんどん「やるべきこと」がすりガラスの向こうに消えていくような、そんな毎日です。
1年目にまいた種を、2年目で丹念に育てなくてはいけなくて、それなのに、その上からまた別の種をまいているような、それで「自然農法なんで!」と草ボーボーのまま満足しているような、ぐちゃぐちゃな状態と言ったら分かりやすいでしょうか。(もはや分かりにくいです)
壁にぶちあたる、とか地域の人に怒られた、とかはないけど、なんとなくボンヤリ悩んでいる最近の私なのです。
「辛いときこそユーモアを忘れないで」
そんな言葉を樹木希林さんが言っていました。
これは真理だな、と思います。
樹木さんと何度も作品を共にしている大好きな是枝裕和監督も、エッセイの中で、
「人は喪の途上にあっても創造的でありうる」
という言葉(これもある人の文の引用で大事にしている言葉だそうですが)を使っていました。
よく芸人さんが、自分の親の死とか大怪我をしたエピソードを、おもしろ話として披露するところを見ると、披露する場所があるということが、心の支えにもなるのだろうな、と思います。
私も、絵であれ、木版画であれ、文章であれ、どんな形であれ、表現をする人でいたいと最近は特に思います。こういうブログがあることも今の私にはとても大切なのです。
だから、協力隊活動や、島での日々の中で、辛いときや苦しい時、寂しい時には、人に笑ってもらえるような文章が書けるようになりたいです。
ほんでそういう話の方が、多分みんな好きだよね。
私も好きです。
だから、
これからもブレブレな自分を笑いながら絶望して生きていこうと思います。
そろそろ死に場所を探している実家の猫クロベイくん。(嫌がる体力がないだけで、すごく嫌がっている)