伯方島まにまに日記

愛媛県伯方島に移住した25歳女の日々のおしゃべりです。

最後にじっくり、こんな話がしたかった。③(泣いても笑っても最後やで〜)

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「もしもし、

元気にしとるか?

お前さん、埼玉でコロナになって病院におるんやないか、という話をしとったわい。」

 

 

と、突然役場の課長から電話が来る。

 

愛媛にもいない、埼玉にもいない。

有吉から音沙汰がない。

この、空白の時間に私は一体どこにいたのか・・・・

(そんなに気にならない)

 

 

 

実のところ、私は京都の加悦町にある祖母の家(父の実家)に1週間ほど滞在しておりました。

 

3月の終わりから、4月の初めにかけて、島の皆さんに、怒涛の「お別れ会」ウィークを提供していただき、

ランニングと筋トレの成果なのか「あれ?痩せた?」とチョボチョボ言われていた3月はじめの私もどこへやら。(これは致し方ない)

 

年末の伯方支所の忘年会ビンゴで当選した「あか吉」お食事券2万円も、大事にとっておいたがゆえに、大慌てで父を呼びつけ駆け込む始末。

筆舌に尽くしがたいとはこのことか・・・!!!というほどの、麗しき回らない寿司たちをいただいたのも、もはや遠い昔のことのようです。

 

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(ハギの上に肝がのっているヤバイやつ↑「この世の肝で一番好き」と、寿司に愛の告白をしてしまった)

 

 

 

毎晩、毎晩、ご馳走をよばれながらも、日中は激しい荷造りと、ゴミの処分、掃除などの引っ越し作業。

思えば、3年前も、前の家の荷造りと掃除が遅くて、大阪からの夜行バスにギリギリで乗り込み、白目で島にやってきたんだっけ、としみじみ思い出すのも束の間、全く経験から学ばない自分の愚かしさを呪いながら、wifiが撤去される前にダウンロードしておいた「こんまり女史」の、有名なお片づけ番組を見たりしていました。(その時間にウゴケよバカ者!!!!!)

 

片付けをしていると、すぐに昔の写真を眺めたり、本を読みだしたりするのも、母から幼少期より突きつけられている課題が何ひとつ改善されていない証拠だったりするのですが、母亡き今、天からの声は私には届かないので、もうおしまいです。

 

 

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↑父と私

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↑母

 

こういう意味不明なカス写真を一人で見てゲラゲラ笑っている時間、まじでなんとかならなかったのだろうか。

 

 

結局、そんなこんなで、

退去予定としていた日には間に合わず、支所に謝りに行き、

ガスは予定通り止められてしまったので、風呂にも入れずにドタバタと島を後にした私。

モノに執着した人生は捨てる!と言っていたくせに、こんまり女史も半泣きの21箱のダンボールを埼玉に。

 

おばあちゃんへの手土産に、と猛ダッシュで立ち寄ったお菓子屋さんでは、通りすがりのおじさんに「まだおったん!!!」と目を丸くされたりなんかしちゃってね。ゲヘゲヘ。

 

 

さあ、祖母の家まで4時間、車を走らせ、ここからゆっくりできるぞ〜と思ったものの、

ありがたいことに次の仕事の依頼を頂いて、急ピッチでデザイン案を仕上げる「勝手に在宅ワーク」が始まるなど、あっという間に1週間以上が経ってしまいました・・・

なんてこった・・・

 

 

話を冒頭の電話に戻すと、課長からの電話は、私が任期中最後に作った「伯方島ガイドマップ 」が愛媛新聞に大きく掲載され、その影響で、ラジオ局からも話を聞かせてくれ〜と依頼があった、ということでした。

新聞に掲載されたと同時に、島内各所から、マップが欲しいという連絡も受けたそうで、

「まあ、とにかく爪痕を残してくれたわい」というお褒めの言葉もいただきました。

 

 

 

というわけで、明日、金曜日の15時20分から10分間、南海放送ラジオ「TIPS」にて、電話出演させていただくことになりましたので、お時間ある方は良かったらお聴きください〜!

 

番組内で、今後のことも少しお話するかもしれませんが、

私自身は、今後、埼玉県を中心にフリーランスで、木版画家、デザイナー、インド料理店手伝いをしている者としてやっていくつもりです。

肩書きが増えると、みうらじゅんになったみたいで嬉しいです。(気持ちわる)

 

埼玉にもいつまでいるかわかりませんが、そろそろ本当に婚活もしようかな・・・

ま、口で言うのは簡単なんですけどね。

 

これからの話は、あくまで予定でしか無くなってしまうし、ブログは別の場所で新たにスタートしようと思っていますが、この「まにまに日記」は、寂しいですが今日を持っておしまいです。

(新ブログや告知は、引き続き投稿すると思います)

 

 

伯母からは「面白いから本にしたらいい」と言われたのですが、こんな本、お金をだして作ったところで一体誰が買うのだろうかと思いあぐねております。

また、それもおいおい考えます。

 

 

今まで、こんな私のブログを読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました!

この3年間、ブログからのご縁や出会いにとても恵まれました。

文章から興味を持っていただけることが、とても嬉しかったし、自身につながりました。

 

協力隊も伯方島での生活もとてもとても楽しかったです。

これからは頑張って一人で生きていくスキルを身につけて、リモートワークの鬼になって日本全国、どこででも生きていける女になりたい!!

その目標に向かって一歩、踏み出す時がきた気がしています。

 

また近況を報告させてください。

 

それでは、また会う日まで!

 

アディオーース!

 

 

 

(完)

 

 

 

最後に・・・・

 

只今、市内各所で配布されている「今治スタイルvol.5」にて、私の取材をしてくださった曽我さんが、ブログに私の話を書いてくださいました。曽我さんも、ブログを通じて私の存在を知ってくださり、こうして取材をしていただくまでになったのですが、あまりにも的を射た、私の人物描写に感嘆いたしました。笑 

ありがとうございました!

nidoneda.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後にじっくり、こんなゆるい話がしたかった②

前回の①をまだ読んでいない方へ...

 

くだらないので別に読まなくても大丈夫です。(一応リンクはっとくね)

 

arisansun.hatenablog.com



 

 

②いざ、今治市

 

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かくかくしかじか、就活に出遅れたのち、「愛媛県地域おこし協力隊合同説明会in大阪」に参加した私。

あえて愛媛県を選んだというよりは、JOINのサイトで「協力隊ええやん!」と思ったときに、たまたま近日開催だった募集説明会がこちら、というだけでした。

「まあ、まずはどんなものなのか話を聞かなくちゃ分からん」ということで、会場に足を運んだのですが、想像していたよりも同世代の人がいないことを悟りました。(みんな就活をしてたからね)

 

とてもウェルカムな空気の中、協力隊を新規募集する各市町村の紹介を聞き、だいたい私が考えていたことと大差のない制度だということに安心したのですが、その後、ブースをまわって話を聞いていみると、「地鶏飼育の担い手」、「道の駅の商品開発・販促」、「若手不足の棚田の活性」とか、市町村によっては明らかに私ではない誰かを求めているミッションがある地域があることを知りました。(逆に何も知らなすぎる有吉)

 

 

「一応、今芸大生なので、何かしら地域PRにデザインとか使ってやってみたいと思っているのですが...」と相談して回った中で、「ぜひうちの地域に!」と言ってくれたところが数地域あったのですが、今治市はとくにイケイケだったと思います。(イケイケの意味知ってるか?)

 

本人が覚えているかどうか分かりませんが、行政の人と来ていた元今治市上浦町協力隊で、現・「パン屋まるまど」の店主の小松さんは、まだ何も分かっていない私に、「はい!採用!」と勝手に言い放ち、私をすっかりその気にさせてしまったのですごい人です。

 

この翌月ぐらいに、今度は高知県の移住フェアにも参加しましたが、そちらでは「お酒はどれぐらい飲めるのか?」ばかり行政担当者に聞かれ、キンキンのビールを日本酒みたいにちびちびとやれば、簡単にクラクラになる私なので、やはり愛媛今治で手を打とうと決めたのでした。

 

 

面接

 

今治港での面接の日は、たしか卒業制作展の会期一週間前ぐらいの時期で、未だ終わらぬ作品を京都に置いて、ほとんど血走った目で今治の地に降り立ちました。

面接会場では、なぜか、大学ホームページに掲載されていた私の木版画の写真を印刷している支所長が、「この作品には、どういう意味が込められているのか」と聞いてくるという、恥ずかしすぎてある意味圧迫面接ではないかというイベントが待ち構えていたのを覚えています。

でも私、面接とかは案外得意なので、朝飯前だったと思います。(ぐーで殴るぞ)

 

 

伯方島での新生活

 

伯方島での着任が無事に決まった私。

 

久々にお会いした大学の先生に進路を聞かれたので、伯方島というところで地域おこしをします、と言ったら

「そうなんか!何はともあれ働くんやな!偉い偉い!がんばれ!」と声をかけられ、芸大での「働く」のハードルの低さに頭が下がりました。なぜだか嬉しかった私。

 

卒業式を終え、両親に手伝ってもらって引っ越し作業をし、

必要な荷物はゆうパックでまとめて送る格安引っ越しを実行しました。

お金のない私の引っ越しは、もちろん夜行バスで。

面接のときも時間が無くて行けなかった伯方島に、3月おわりの引っ越しの日に初めて降り立ちました。

先輩隊員が案内してくれた新しい我が家は、古いアパートでしたが、ひとりでは部屋が余ってしまうような広々快適な1室で、窓からはキラキラの海と白い灯台が見えました。

先輩隊員に「お昼はどこにいく?」と聞かれ、「海鮮が食べたいです」と言ってつれていってもらった『みなとや』。

刺身定食がおいしかったので、その日の午後から手伝いに来てくれた両親とも『みなとや』に行くという、1日2回『みなとや』は、引っ越し初日の最初で最後の体験になりました。笑

ちなみに『みなとや』での私のおススメは「ちらし寿司」です。錦糸卵とうなぎをまぶした酢飯に海鮮がいっぱいのっていて最高です。友達や親が来たときは「上ちらし」で豪華にいきます。

 

 

tabelog.com

 

 

 

着任当初...

 

先輩隊員に連れられて、島の人で地域活動を頑張る人たちに挨拶まわりをしたり、なるべく人の集まるところに顔を出した最初の1ヵ月。

 

開山公園のふわっふわの桜と天国のような瀬戸内海が交わる光景を見たときには、言葉を失うほど感動し、歓喜しました。

会う人会う人に「今までの人生でみた桜の中で一番です!」と感想を言うと、それはオーバーすぎる!と島の人は笑ったのですが、本当に本当だったのです。

 

全国に胸を張って推せる桜の名所を有しているということを、島の人にもっとわかってもらいたい!と思っていた矢先、「開山公園の公園内マップがないので、作ってもらえないかな?」という声が。

そうそう!これこれ!こういうことがやってみたかったの!

と、飛びつくように始めた公園内マップづくりは、毎日のように春の開山に足を運び、徒歩での所要時間を測ったり、スケッチをしたり、写真を撮ったり、最高の日々でした。

青い空の下、桜と菜の花、つつじをはじめ、春の草花のおかげで、開山全体がいい香りに包まれる中、家族やお友達と、こじんまりお花見をする人たちの笑い声。

来年は、この人たちが私のマップを手に取って、お花見を楽しんでくれるのかと思うと、胸がはずみました。

 

 

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デザイン舐めすぎ

 

さあ、マップ制作!!!と、勢いよくはじめたものの・・・

 

市のお偉いさんたちには「島でデザインとかやりたい!」と勇んで語っていたくせに、デザインのデの字も知らない版画専攻の上、デザインソフトの使い方もよく分かっていない素人の極みだった私。今考えると、なぜあれほどまでに自信満々だったのか1ミリも分からないのですが、勢いと雰囲気で乗り切るべく、ひどいデータを仕上げていました。

イラレで切り抜いた手書きのイラストやテクスチャー用の画像を、パスで囲んで、切り抜き、ひたすらコピペコピペ...を何も気にせずに繰り返していたら、PCで開くのに5分以上かかるような激おもデータができあがったり、死んだレイヤーが裏に隠れていたりと、「なんで?なんで?」を繰り返していたのも今や昔のことですから~。(...怪しい)

 

結局、桜の時期が終わってダラダラ他のことをしていたこともあり、翌年の桜の開花時期を目前に、なんとか完成したマップ。

さらっとした上質な紙にきれいに印刷されて、当初のイメージ通りの、満足な出来栄えだったと思います。

 

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今見れば、もっとこうしたら、ああしたら、もあるのですが、

毎年、開山公園にお花見に来る島外からのお客さんが、このマップを手に公園内をくまなくお散歩してくれる様子を見て、とても幸せな気持ちになっています。

 

 

 

そんなこんなで、着任当初から自由に楽しくやらせてもらってはいたのですが、何といっても世間知らずの新卒で、いきなり島の役場に席がおかれた私。

役場の「産業建設係」に机があり、水道料金の受付や事務をするアルバイトさんと、土木現場を行ったり来たりする職員さんの間にある私のデスクは、正直、のびのびした職場ではないことは明らかでしたし、

今まで存在すら知らなかった瀬戸内海の島で、絶対に無縁だと思っていた公務員の職場にいる私は一体なんなのか・・・と、急にフワフワした感覚になったりしていました。

 

 

 

地域おこし協力隊の存在感

 

「地域の中で、協力隊はいつでも協力隊。」と、地域おこし協力隊の初任者研修会で教えられたとおり、私はいつでも「地域おこし協力隊の子」として見られていました。

 

プライベートでも仕事中でも、特別な視線を向けられることが多い協力隊という存在は、人によってはストレスになってしまう人もいると聞きましたが、

この島のような地方の、そこそこの人口があるコミュニティでは、役割を持っていない人や、何かに定義されることのない人の方が少ないことに気づいたので、深く考えすぎることをやめにしました。

だって、●●海運の社長さんとか、●●屋の奥さんだとか、学校の先生、お寺の和尚さん、組長さん、テニスで全国にいった子などなど、この島の重要なパートを担う人たちは大勢いるのです。てゆうかほとんどがそうなのです。

だから、別に地域おこし協力隊なんてそこまで注目されてないよ!って思っちゃう。笑

新天地で注目されている気分になるだけであって。

多分もっと小さいコミュニティになったり、高齢化が著しい過疎地域になると、協力隊はもっと目立つ存在なんだろうなというのが私の体感でした。

 

 

 

3年間住んで感じた、伯方島のいいところ

 

私は伯方島に住みはじめて、今までで一度も「不便だな」と感じたことがありません。

これは、まじです。

地元埼玉の友達が遊びに来た時に言った「キレイだけどここには住めないな~」という一言にカチンときたくらい、「不便だから」で住めない理由が見当たらないのです。

橋代がかかることは家計的にネックになりますが、スーパー、コンビニ、ガソスタ、ドラッグストア、保育・幼稚園、学校(小~高)、銀行、飲食店(飲み屋含)、郵便局(3件も!)ホームセンター、車屋さん、本屋さん、文房具屋さん、コインランドリー、ヤマトの集配所などなど、生活に必要な大抵のことが島内で完結してしまう伯方島は、本当に超住みやすい!

 

橋がつながっている為に、アマゾンやZOZOTOWNの通販には離島料金も発生しないし、注文後、あっという間に到着します。

 

着任前に地図上のサイズ感だけを頼りに着任する島を決めた私だけど(まじか)、

この愛すべきサイズ感こそ、この簡潔な便利さや地域の活気を生んでいるような気がしてなりません。

 

なんていうのかな・・・

とてもこの感覚を形容しづらいのですが、小学校の教科書の例文とかに出てきた町が、実はめちゃめちゃ自然豊かな島だった感じ。(なにいってんの)

郵便局や本屋さん、学校、バス停、銀行なんかが、あるべきサイズとバランスにまとまっていて、その町に住み、その町で働く人が多い、って感じ。・・・わかります???笑 

 

私の地元のように、陸続きの都市に依存してしまった田舎は、やっぱり自分たちの半径10キロの生活を失っている地域が多いような気がしていて、島だからこそ失うものがあれば、島だからこそ着実に残るものもあるのではないか、と住んでみて気づいた気がしています。

本当の暮らしやすさっていうのは、近所にイオンがあるとか、コンビニが沢山あるとか、そういうことじゃないと思う、絶対。

 

私、欲しい本を注文するときは、伯方島の『いろは書店』を利用しているのですが、前に店内で雑誌を探していたら、小学生ぐらいの男の子が自転車でやってきて、ヘルメットをかぶったままステステと店内に入るなり、さらっと言ったんです。

 

「おばちゃん、いつもの!」

 

すると店主のおばさんが奥から、「ハイハイ、いつものね~」と言いながら、最新刊のコロコロコミックを持ってきました。

 

この光景があまりにチャーミングで最高だったので、また出会いたくてついつい用が無いのに足をのばしてしまうのですが、前述したように、アマゾンで簡単に本が買えてしまう昨今、こういう地域の本屋さんとか、商店を、ここに住む人たちで大切にしていきたいって本当に思います。

こういうところも、伯方島の良さだと思うから。

 

他地域の移住者の中には「伯方島はつまらない」という人もいるのですが、住んでみると、お金が島の中でまわっているって、これからの地方の在り方を考える上ですごく大事なことだよ~と思うのです。

 

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協力隊の1日(私の場合)

 

さて、私の毎日ですが、

フリーミッションの今治市ではとくに、協力隊活動の中で「必ずこれをする」という決まった動きはないので、私はいつも適当なスケジュールで動いています。笑

激ゆるです。

要は、やると決めたことや、お願いされたことが、予定日までに完遂できる!ことが1番大事で、もっと大事な地域の集まりや、打ち合わせがある日は、それに合わせて自分のことを進めていました。

この辺のバランスって本当に人それぞれだと思うし、変な話、今治市内でも、勤めている支所が違うと、動きやすさに差がでてしまうので、とても難しいですよね。

市の職員や協力隊個人のバランス感覚に委ねられすぎているので、もう少し安定した共通認識とかがあるといいな~と思ったりします。

 

【とある日のリアルスケジュール】

7:15  起床

8:10  得意のギリギリ出勤

8:20  ラジオ体操 or 今治タオル体操

8:30  メール・メッセージのチェック

9:00  依頼のあったデザインの制作

12:00 昼ごはんを食べに帰宅(ゴロゴロ)

13:00 鎮守の杜で次回イベントの打ち合わせ  

15:30 週末のワークショップイベントの準備・試作をしに児童館へ

17:00 支所に戻りFBにイベントの告知

    ホームページの更新

18:00 買い物して帰宅

19:00 NetFlix観ながらごはん

20:00 公務外(副業)のデザイン仕事

22:00 風呂

23:30 就寝

 

いつか伯方島の協力隊になる人がいたら参考にしてください。笑

 

 

 

 

もうやめようかな、と思った2年目

 

地域の人に本当によくしてもらった3年間。

続けられたのは、私が努力したわけでも、特別なことをしたわけでもなく、

地域の人がいつも気にかけてくれたからだと思っています。

 

「協力隊でよかった!」と「もうやめようかな」、と思うことが重なって、ネガポジのミルフィーユ状態だった2年目は、とくにそうでした。

 

大三島美術館での3か月にも及ぶ展覧会がはじまり、喜んでいたのも束の間、

支所での人間関係に悩んで、「役場いきたくない...」と思う朝が続いたり、

「鎮守の杜」を利用した天井画プロジェクトが始動して、ここからだ!というときに、

キモい脅迫電話がきたり、市の担当者とクラウドファンディングの立ち上げでもめたり、

なんか、私がやっていることって何なんだ??と自問自答を繰り返す日々でした。

 

今考えると、ウジウジして気が小さい自分にもムカつくし、全体的に2年目はムカつくこと多すぎでした。笑

今、あの変態から電話がかかってきても、フルボッコにできる自身あるもん。言いたい放題言われたことに本当に腹が立つぅぅう!!(思い出してきた)

 

まあ、そんなこんなでボロボロになってても、「怖かったらうちおいで」って連絡くれたり、私の悩みを聞いてくれて「わかるわかる、大丈夫」と言ってくれる人たちが近くにいてくれたので、なんとか生きていけたのです・・・

 

 

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色んな顔を持つ自分を知る

 

1年目に定着しつつあった「地域おこし協力隊の子」である私。

それがちょっとずつ色んな形に変わっていったのが、2年目~3年目でした。

 

ある小学生には「しましまのかなちゃん」と呼んでもらえて、(「アートの基地しましま」ワークショップをきっかけに)

年配の方から「おともだち」と紹介していただくこともあったり、

同世代の子たちには、仲間の一人として飲み会やお出かけに混ぜてもらえたことが嬉しかったです。

 

協力隊としての一面だけでなく、

「カラオケ仲間」、「フラ仲間」、「バドミントン仲間」、「英会話仲間」、

「アートクラブ仲間」、「飲み会仲間」、「ライブ仲間」、などなど... 

 

プライベートの色んなシーンで、違う人たちとつながるたびに、「私らしさ」は自分で定義してガチガチにするんじゃなくて、人との関係性ごとに、粘土みたいに変容していくものでいいと思えていきました。

無駄に若い私は、実体のない「私らしい」「私らしくない」を基準に色々選択したり、固執したりしていた部分が多かれ少なかれあったので、色んな場面、新しい体験、それぞれのグループの中で、少しずつ違う自分に出会えることが、新鮮でとても楽しかったのです。

だからといって、相変わらず1人の時間大好きなザ・ひとりっ子なので、その時間も大事に大事に。

 

今から地域おこし協力隊になろうと思っている人に、おせっかいに何かアドバイスをするとしたら、「色んな居場所をつくる!」ことをおススメします。

とくに地方のコミュニティは、今でも男女の住み分け、役割がキッパリしているので、

どちらにも関わるシーンを作ると、めっちゃ認知してもらえます。

(とくに、仲良くしていただいた島の女性は「習い事」つながりが多いかも)

私の場合、旦那さんや子どもがいないので、もし家族で移住する場合は、もっともっと広がりが生まれるはずなので、家族で移住する人はうらやましいな~と思っていました。笑

 

 

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さて、私の協力隊になってからの話はこんな感じでいいのかな?(半笑い)

活動の話というよりは、3年間の所感って感じで、申し訳ないのですが、

このブログは1年目からやっているので、細かい活動やらなんやら知りたい人はそちらでどうぞ!(雑)

 

今回も長くなってしまったし、まだまだ言いたいことは沢山あるのですが、

③これからのこと も書かないとなのではこの辺にしてみます。

 

最後までご拝読いただき、ありがとうございました!

 

 

③につづく・・・・!

 

 

最後にじっくり、こんなゆるい話がしたかった① 

改めまして、有吉かなこと申します。

 

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(表裏ひっくり返しの服で、たそがれる私)

 

かくかくしかじか、私は現在今治市伯方島の地域おこし協力隊をしているわけなのですが、もうそろそろ任期の3年が終わろうとしています。

 

そして、

かくかくしかじか、私は4月からこの伯方島を離れ、フリーになろうとしています。

 

ここでのフリーとはただのフリーです。自由、無料、のフリー。

市役所では「ランス」をつけて体裁をギリ保っていますが、本当はフリーです。(分かったから)

 

 

3年前の4月に同じく協力隊になった同期の協力隊のみなさんが、定住!起業!結婚!などといった、この制度においても、彼ら自身の人生においても、華々しい成果をあげる中で、大変肩身が狭い私なのですが、

この島でやってきたことにはそれなりに自信があるし、この短い期間で大事な友人が沢山できたことはとても自慢です。

ちびっこからじいちゃんばあちゃんまで。

親戚でもないおじさんに、「いつかこの人のお葬式に来る日があるのだろうか」と思ったのは初めてのことでした。(めったな想像するな)

 

一時は真剣に移住を考えながら、せっかく色々と楽しくやらせていただいたので

こんな感じのゆるい雑談を交えながら、きちんと活動報告なるものをできればなぁ~と考えていたのですが、

 

 

・・・・はい、コロナウィルスです。

活動報告のイベント自体が無くなってしまいました・・・(吐血)

 

 

せめて何か文章にでも残したいので、

協力隊期間中、気が向くと更新していたこのブログの書き納めに、伯方島での私の話をしたいと思います。

 

 

題して

『自分の協力隊活動報告会で、有吉はこの話がしたかったシリーズ』

 

明らかに長くなりそうなので(すでにタイトルが長い)、3回くらいに分けてまとめたいと思います。

 

 

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シリーズ①「協力隊は私がやりたかっとことだった!」の巻

 

一番、うざいチャプターかもしれないので、私のこういうところが嫌いな人は後日アップする②にスキップしてね。(そんな人はそもそも読まないのでは)

 私は最初、定住や起業よりも、協力隊になりたかった人なので、改めて協力隊になる前の話からさせてください。

 

子どものころからある「よそもの」マインド

 

埼玉県飯能市東吾野という、のどかな山奥で育った私は、

昔から自然が大好き。というか、田舎での生活に慣れています。

具体的にいうと、風呂場に巨大ムカデが現れたり、車の前をイノシシが爆走していたり、学校の校庭にサルが遊びに来たり、ご近所さんに野菜をもらったり、

一番都会と違うのは、濃厚かつ、時たまわずらわしいご近所づきあいが当たり前にあったことでした。

有吉家の場合、「静かで緑豊かなところに住みたい」と両親が、わざわざ田舎にマイホームを建てたわけなので、今考えたらあれも移住は移住で、両親はなるべく地域と馴染もうとよく頑張っていたと思います。

自治会で年に2回も旅行がある地域とか、今考えると超めんどくさいもん!

 

だから、私にとっては東吾野はホームタウンなんですが、代々あの地域に住んでいた人たちにとって、私は「よそから引っ越してきたうちの子」で、しょっちゅう「どこんちの子?」と聞かれては

「何年前に越してきた」、とか「あそこの茶色い家」だ、とか説明していました。(セキュリティ最弱)

 

そう考えると、うちは昔からずーっと移住者だったんだな、と伯方島に来てから気づいたのです。新参者として扱われることや、地域の中で少し浮いてしまうことに全く違和感や抵抗がないのは、自分の出自に由来するということか~と少し納得したものです。

この仕事には向いている性質かも。

 

 

 

東吾野村を復活させよう」と息巻いていた中学時代

 

地域おこし協力隊という制度を知ったとき、やってみたいと思った一番の動機は、ただ、アートで何かしたいなー、のんびりしたところに住みたいなー、ではなかったような気がします。

埼玉県という、一般的に東京に近い好立地とされ、かつては林業で栄えた地域でありながら、完全に取り残された私の地元のようなエリアは、「国産の木も売れなくなって、林業家も減って、あとは人口が減っていくだけ」という悲観的なムードがそこはかとなく漂っていて、私はその空気に包まれながら育ちました。

でも子どもだった私にとって、

山奥に秘密基地を作ったり、家の前に寝袋を出して流星群をみたり、

6月のムシムシした夜に蛍を観に外へ出たり、

夏の部活帰りに「ねえ、あとは帰るだけだし川に入っちゃおうよ」って体操着のまま川に飛び込んだり、

思い出がいっぱいの特別な場所だったので、目に見えて分かる子どもの減りようを実感しながら、そこのギャップに「こんなにいいのに、なんで?」と常々考えさせられていたのです。

 

それで、中学生のころに「東吾野〈村〉構想」の提唱者になりました。笑

この地域は、市の中心地から離れすぎて、市政から置いてけぼりにされている上、市内の他のエリアとは全く別ものの個性や特徴があるのに、そこを誰もアピールできていない!これは飯能市という大きな枠のパーツになってしまっているからや!村時代に戻して独自性をもっと出して、ちゃんと中で循環できる自治制度を作ろう!!などという主張を、威勢よく言っていたのを私の友達は無理やり聞かされていました。(めちゃめちゃ気の毒)

基本、私の周りの人間は遠慮がないので「こんな人が少ない地域で財政まわらないでしょ~に」と言われて、しゅんとなったものの、私が言いたかったのって、要するに地域のブランディングのことだったような気がします。(それがいきなり「村構想」になる無茶っぷり・・・愛せる)

 

なんとか頑張れば、お隣の秩父市みたいに色んなコンテンツが作れそうだし、子ども少なすぎて「友達ができない」で悩んでいる都会の子とかも一瞬で友達できると思うし(幼稚園時代の友達をうちの母が本当に誘ったことがある)、通勤が大変ではあるけど仕事を変えずに田舎暮らしもできなくはない、などなど、アイデアはあれど、

中学生の私には、じゃあどうすればいいの?の手持ちカードが何も無かったのでした。

 

だいたい、そんな話を相手にしてくれるのは両親だけで(私に激甘)、結局私は何もできずに、いつの間にか過疎化の当たり前に慣れて、

3.11の後、2011年の夏に家族で四国・徳島県に移住することになってしまったのです。

 

私が小学生だったころ、全校児童70人くらいだった東吾野小学校は、年々児童が減り、昨年度で閉校になりました。

そのニュースを聞いたとき、ちょっとだけ涙がでました。

 

 

www.saitama-np.co.jp

 

 

 

徳島への移住。はじめての四国暮らし。

 

東日本大震災後に、両親が西日本への移住を考え始めました。

普通、高校生の娘というのは、少しくらい慣れ親しんだ土地や交友関係と離れることに抵抗感を感じてもいいものですが、案外あっさりと受け入れ、案外前向きに次の高校を探したりしていました。

うちの両親は原発事故後に、うちのお店のインド人従業員を国に帰して、私にマスクをするように口酸っぱくして言っていたし、口にするものもデリケートに選んでいました。

高校生だった私からしても、震災後の政治の動きは、理解しがたいものがあって、計画停電で真っ暗の電車に揺られ、真っ暗の家に帰る日々の中で、被災地に何ができるわけでもなく、ストレスフルな日々を送っていました。

そんなときに、高校の友達に「いつもマスクしてて怖いし、なんか気持ちわるいよ」と剛速球ストレートで正面から投げつけられ、心が1ミリ角に粉砕された事件がありました。自分的にももう限界がきていたような気がします。

(今でも結構トラウマになっていますが、後日その友達も「やっぱりおかしいこと多いね、私も有吉に言われて色々気づいた」と言ってくれたのでした)

 

まあ、そんなこんなで、私たち家族は「この震災をきっかけに自分たちの食や生き方を見直す」というテーマを掲げ、移住先を探し始めたのですが、私の受け入れ先の高校がなかなか見つからない。

埼玉では、芸術科しかない高校に通っていたので、せめて美術科クラスのある高校に転入したい!と言っていたのですが、どこも人を増やすのは難しいと断られ続けました。「もう大学に進学するつもりもないし、高校やめて野菜作りを手伝ってもいい」と言ったのですが、さすがのうちの親も「せめて高校は・・・」とあきらめませんでした。(親があきらめなくてよかった!!!!泣)

 

そんな中、ようやく「歓迎しますよ」と言ってくれた高校が徳島県名西高校の芸術科で、私たちは徳島県に移住先を絞って、高校まで通える家を探し、すごいスピードで阿波市市場町に移住しました。

 

移住当初、近所の人が、「徳島はなんでも5年は遅れとる。バブルがはじけたあとも、5年は景気がよかった」と言っていたので、「そんなバナナ」と笑っていたのですが、

私が名西高校に転入したとき、クラスのギャルが、教室で真剣にパラパラを踊っていたので、「これは5年どころの騒ぎではない・・・」と震えたのを思い出します。

(後に、ギャルの圧力に屈服した私は、はじめての文化祭で踊るはめになりました)

 

 

正直に言うと、徳島での私は、本当に生意気で嫌な奴でした。

埼玉の高校では絵も勉強も普通かイマイチだった私が、徳島の高校では1番をとることも多くなり、天狗になるわ、先生に口出しするわで、もう今振り返っても、土下座!!!って感じです。

埼玉ではあんな田舎に住んでいたくせに、「東京からきた有吉さん」と間違って紹介されても訂正しないぐらい調子にのっていたのです。(死んで詫びろ)

 

そんないけ好かない奴でありながら友達には恵まれ、とくに、同じ油絵専攻のメンバーには本当に仲良くしてもらいました。銀杏BOYZのCDを貸してくれたり、みうらじゅんの話を聞いてくれたり、フジファブリックの「銀河」ダンスを文化祭で踊ったり、もともとあったサブカルな輪の中に私を入れてくれて、とても優しくしてもらったのです。

 

 

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私って意外とこういうの好きかも???

 

3年生の文化祭で、私が文化祭リーダーとして、クラスのダンスを考える機会がありました。前の高校でもダンスの振り付けと構成を考えたことがあったので、少し自信があったのですが、高校生なりの波乱、混乱もあり、E判定まみれの大学入試を控えて、「なんでやるとか言ったんだろう・・・・」と号泣しながら準備をしたのですが、

 

結果的に、「カオナシが『ラブレボリューション21』を一心不乱に踊る」というメチャクチャな企画で、全クラスの中ではじめて我々が優勝することができたのです!

今思い出しても笑顔がこぼれるいい思い出です。(まじで優しい周りのおかげだからな、忘れるなよ!)

 

てな感じで、毎回周りを巻き込んだ挙句、半泣きになって、キレたりしながら、最後は「なんだかんだうまくいってるやん??」というところまで持っていくギリギリセーフのスタイルは協力隊になっても全く同じで、

役場で

「なんでやるって言っちゃったんだーーー!だれだ最初に言ったやつーーー!私だーーー!」と嘆いていると、

「毎回言ってるよねそれ・・・」と周りの人にさめざめ言われる始末です。

私の危なっかしい協力隊活動の源流は学生時代にあり、と、最近しみじみ思いますねー。(全然いい話じゃない)

 

この高校生活でよかったことは、「私、なんだかんだでプロデュース役が好きかも」っていうことと、「人間、どこの土地に行ってもなんとかやれる」という最大の学びを得たことです。埼玉にずーっといたら、協力隊なんて怖くてできなかったかもしれません。

 

 

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      徳島でのピチピチJK時代

 

 

 

憧れだった京都での大学時代

 

私は昔から、ノーアイデンティティな埼玉の自虐根性を忌み嫌い、

プライドとセンスと文化的空気で、そこに暮らす人々をワングレード上品に見せてしまう京都というまちに大変な憧れと執着を持っていた人間でした。

私にとって、京都は、たとえそこにゴミ山があろうとも、何か文化的意図があるのではないか?と感じさせる魔力を秘めし場所でした。(すごいバカ)

 

ということで、人生で一番辛かったのではないかという芸大受験期を経て、憧れの京都芸大、憧れのまちでの一人暮らしがはじまりました。

 

うちの両親は、移住してから、経済的にかなり厳しくなっていたのに、私のひとり暮らしのための家電一式に加え、「芸大に行くんだから」と無理をしてMacBookを買ってくれました。(私はこのPCを7年間使い、つい最近、自分で新しいものを買いました)

一足先に帰った父とは別に、うちで引っ越しの荷解きを手伝ってくれて一泊した母が、翌朝、新品の布団の中で子どもみたいにしくしく泣いているのを見て、ようやく自分の巣立ちを感じたのが懐かしいです。

 

 

私が通っていた京都市立芸術大学は、私が理想としていた京都的情緒さえない立地でしたが、大学の裏手には自然も多く、学内にも気持ちのいい雑木林があるような場所でした。学生が「つちのいえ」というゼミで制作した茅葺き屋根と土壁のかわいい家があって、その周りの丘も段々畑にして、芋を育てて、みんなで焼き芋にして食べたり・・・。思っていた京都での学生生活とは少し違ったけれど、私の性に合う気がして、どんどん好きになりました。

 

つちのいえプロジェクト

 

基本的には変な大学だったので、いつまでたっても就職しないで大学に来ている先輩とか、勝手に学内のベンチで編み物をしている謎のおじさんとか、その人の作ったというチャーハンを平気で食べている友だちとか・・・

どうなってんねん、みたいなことばっかりで、私みたいな人間には本当に気楽な世界でした。ザ・ダイバーシティ

 

その自由のよさに比べれば、京都の伝統的文化とかハイセンスな雰囲気とか、結構どうでもよくなってきて、高校生の時にネチネチこだわってきた「自分流」みたいなものも、いい感じにほどけていった感じがします。

 

 

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就職はしたいけど、就活はしたくない期

 

就活期間が始まっても「リクルートスーツを着たくない」という理由を盾に、一切就職活動をしなかった私に、親も友達も誰も何とも言わなかったのはすごいことですが、大学院に進むと思って放置していた人もいたみたいです。

 

就活の波には乗れなかったけど、この先何しようか・・・と思っていた矢先、「地域おこし協力隊」の存在を知って、愛媛の協力隊合同説明会に参加しました。

 

正直、私は当時のアルバイト(福祉グループホーム世話人)で多い月には15万円近く稼いでいたので、卒業後にフルで働いたら20万は余裕だよな~とぼやいていたのですが、ネットで地域おこし協力隊という制度を知ったときに、不思議とピンとくるものがあって、「こういうの向いているかもなぁ、面白そうだなぁ」と思ったのでした。

 

前のブログにも書いていたかもしれませんが、私は小さいときから高校生まで、少女漫画家になることが一番の夢だったので、その夢を諦めた後は、「もうなんだって楽しかったらいい」という余生マインドで生きていました。

つまりは、「いいところで暮らして、自分らしくいれるところに行きたいなぁ」と感じていたので、地域おこし協力隊制度はそういうものだと解釈したのでした。

それに加え、地方の地域力の衰えに対して何かできないか?面白いアイデアを出せないか?という十代のころからのぼんやりとした妄想がつながって、私の足は地域おこし協力隊に向いていきました。

 

 

②「いざ、今治市へ!」に続く・・・

伯方島と私、これから。

 

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あけましておめでとうございます。(今頃...)

おめでとうも何も、ずーっと更新していないじゃないか!って感じなんですが、大丈夫です、生きています。笑

 

2019年、振り返ろうとしても、色々ありすぎてどこからどうしたらいいのか。

とにかく母がガンで急死したという一大事が、年末にドカーンと爆弾みたいに頭に落ちてきた感じで、2019年のそれ以前のことが、薄味すぎてよく思い出せない始末です。(ならば「あけましておめでとう」も変だろう)

 

2019年は人生のターニングポイントだと信じ、「母が死んで私の人生観はちょっと変わったのよ・・・」とよく分からない自己暗示にかけている部分もちょっとはありますが、とにかく母は私に大甘だったので、「かなちゃん偉い!」「かなちゃんすごい!」と言ってくれる人が世界からいなくなったという事で、ちょっとずつ何をやろうにも、無気力オーラが出ているという現状があります。

なので、最近は夜に走っています。これ以上太りたくはないし、最近は職場でパソコン作業ばかりなので、遅い時間に寒いビーチを走って、星を見て、この無気力状態と自分なりに戦っています。

 

一方で母の別れた夫である父は、「元夫」という印籠を手に、死後の母の遺物整理や届出関係にはほとんど関与せず、すっかりスピリチュアルな世界に傾倒しています。

喪の途上で何をして、何を考えるかは、人それぞれですからね。

 

 

さて、4月からのこと。

地域おこし協力隊としての3年間がこの3月で終了します。

多くの出会いや経験から本当に学ぶことの多い毎日でした。楽しい日々にももうすぐお別れです。

 

後任となる新規隊員の募集は行っていましたが、来年は伯方町の協力隊がゼロになることが分かったそうです。

制度採用以来、ずっと隊員がいた町なので途切れることは残念ですが、伯方島はサービス精神の塊みたいな人たちが沢山いるので!(笑)、きっとこれからも楽しい町になっていくと思います。

 

4月から、地元埼玉で”借りぐらしのアリヨッティ” になります。(おもんな)

貧乏個人事業主として一応独立して、木版画をもっと作ったり、伯母の家の横の蔵で、瀬戸内のアンテナショップとかしてみたいです。

 

こんなの、島でもできることでは??という声が聞こえてきそうですが、

本当は、両親が営んでいたインド料理屋の手伝いと経理全般を、私がすることになったというよんどころなき事情から、ひとまず埼玉に撤収することになったのです。

 

今のところジプシーのような生活はしていますが、いつかはどこかで根を生やして、引っ越しのことを考えずに沢山本を買って、家族をつくり、犬や猫を飼いたいです。

それがこっちだったらいいなぁ・・・ 

 

埼玉は、島と比べたらさえない所ですが、「東京に近い!」と大手を振っているだけに、今まで縁遠くなっていたシティ型カルチャーにも気軽に触れあえるというよさがあります。新しいチャンスや出会いもあるかもしれません。

 

お店のことが落ち着いたら、ワーキングホリデーで海外で暮らすことも目標にあります。あとで「これやってみればよかった」がないように、興味があることは生きているうちに全部やりたい。

 

陶芸、バイクツーリング、写真、石積み、張り子人形、絵本作り、ソーイング藍染め、畑、養鶏・・・「ひとつのことが長続きしないのよ」と笑っていましたが、私の母はいつも「やってみたい!」と思ったことをきちんとやってみることができる人でした。それって本当に大事なことです。

 

2020年、どんな年になるかはわかりませんが、ひとりでしんどくなったら島に来て、リフレッシュできるような、島と私の関係性でいたいな。

 

 

 

 

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PS.

これら諸々のことを島の人に自分の口から報告したいので伯方島の鎮守の杜で3月15日(日)に活動報告会をします。17時半~18時までで、その後、映画「この世界の片隅に」の上映もします。お誘いあわせの上、ぜひお越しください!

当日は11時から鎮守の杜でカフェ営業やイベントをしている予定なので、お暇な方は1日遊んで行ってくださいね。

ちょっと素敵になっちゃった廊下

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11月29日、鎮守の杜で月曜日と金曜日に活動するGrian工房のメンバーと一緒に鎮守の杜の壁面にお絵かきしました。
テーマは「森」。鎮守の杜にちなんだ、かわいい森です。
 
ちなみにビフォーがこちら~

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これだと、夕方から夜にかけて、ちょっと怖いネ・・・

 
障がいのある彼らと一緒に描いていると、自分の慣れまくりの「うまさ」「こなれ感」みたいなものって本当、つまらないし、小手先すぎて、人の心を動かさないんだよな~と、身にしみて感じます、、、途中から描くのをやめました、、、(暗
 

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このみかんとレモンの顔なんて、しゃっしゃ!って描いているのに、しびれるほどかわいくて、どうしたら絵全体が、この温かい空気感を纏うのか、不思議で不思議で。
 
作者の彼女の絵に登場する顔たちが大好きなので、「みかんとレモンにも顔を描いてくれませんか?」とリクエストしたら、ものの数分でこれですわ・・・(完敗)
 
なんか、私、もはやこの顔に愛を感じるんですけど。何なのこれ。
 
 

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私自身は、あんまりいい絵が描けないので、ちょっと苦手意識がありますが、たまにはこうやって、筆に絵の具をたっぷり含ませて、紙ではない固い面に絵を描くって、気持ちいいですね。
 
カタチの決まった白い紙に描くよりも、自由に広がっていく感じがします。
 
ラスコーやアルタミラの壁画もこんなだったかな・・・(急に壮大)
 
 
 

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久々に絵を描いて、とても癒されました。
私がいちいち「かわいすぎるうううーーー!」とうしろで騒ぐのに、テンポを乱すことなくサクサク仕上げるGrianのメンバーのおかげで、あっという間に素敵なアートが完成しました。尊敬しかない。
 
 
 
さて、「色々ありそうだしちょっと見に行ってみようかな」、という人。
伯方島の鎮守の杜は、いつものように月曜日と金曜日(祝日除く)にオープンしていますよ~!ぜひのぞいてみてください。
 
では!
 
 
 
 
 

なってよかった、協力隊。きてよかった、伯方島。

なんと、早いもので伯方島に来て2年と8ヶ月が経ちました。

残りの任期も4ヶ月。

そりゃ、新卒だった私も25歳になるわけです。

 

今月初頭に母が亡くなり、色々とすっぽかしていた事柄を大急ぎでこなすうち、気がづいたら、季節も変わってしまっていて、相変わらず衣替えをピシャッとできない私は、レース素材のチュニックだとか、薄手のTシャツだとかをそのままに、押入れからセーターやモコモコ靴下を引きずり出すような、いつもと何ら変わらない3年目の冬を迎えようとしています。

母が死んだら、心痛のすさまじさゆえに引きこもって、ゴミ屋敷みたいな家で私も孤独死するのではないかと思っていましたが、伯方島のバス停を降りたとき、「ここなら今までどおり、元気でいられるな・・・」と思って涙がでたのが自分でも驚きです。

 

さて、そんなこんなで、今週末は愛媛県の地域おこし協力隊合同説明会が、東京・有楽町の東京交通会館で開催されます。久々の出張です。

 

私の退任あと、伯方島に来てくれる人を探してきます。(ブログをみてくれている人で誰かいないかしら?笑)

 

e-iju.net

 

他にも愛媛県の魅力的な各地域から、協力隊や行政担当者が参加するめずらしい機会なので、協力隊希望者、移住希望者にとっては、色々比較して選択できる素晴らしいチャンスです。

何を隠そう私も、就活もせず、作品制作とバイトをしまくっていた大学4回生の今頃に、この説明会に参加し、今治市と出会いました。

私の場合、自分の特技を使って地域おこしができないかな、という気持ちが最初からあったので「私、デザインとかアート系で、何かできないかなと思っています」と素直に相談して、向こうのリアクションを見ながら、着任地を探したような感じです。

 

実は、もともとは高知にも興味があって、高知県の説明会にも参加したのですが、愛媛県は県の主催者のやる気が圧倒的に違う感じがして、「県の方でも相談できたり、サポートしてもらえる体制があるのかな?」と思った印象がありました。

 

めずらしく真面目な話になっちゃってますが、実際、今治だけの話じゃなく、愛媛県の協力隊になってよかったな~と思うことは着任後にも何度もあって、とても助かっています。謝謝ECPR!

 

 

それでも人間的に超未熟な新卒の私が、縁もゆかりもない地域で2年半もよく頑張ってこれたな~と、今更しみじみ。

「世間知らずですみません!」的なピチピチ感だけを売りにしていながら、『新卒で協力隊になってはいけない理由』などという知らない人のブログ記事にイチャモンをつけたり、移住について知った風に語ったり(笑)、今考えるとイタいな~と思ったりして。

楽しいことばかりだったかといえば、「もう辞めようか」と思うほど悩ましいこともあったのですが、どれくらい辛かったのか、さっさと忘れてしまう性格と、相談できる人、心配してくれる人が島にいたおかげで、ここまでこれたと振り返ります。

本当、周りのおかげですね。

 

 

―地域おこし協力隊になってよかったことは?

という質問が色々なところで登場し、その都度、「野菜やみかん、魚介をもらえる」とか「色々チャレンジできる」など、その場で適当な回答ばかりしていたのですが、

3年の任期もこの段階に入り、真剣に考えてみると、

一番良かったと思うことは、とてもバカっぽいのですが、

「人間的に成長できた!」と自分で思えることかな、と思います。

(あちゃー、超ダサい~~)

 

でも本当のことだから仕方ない。こう思えるって最高じゃないですか・・・・

 

ギチギチの特大バックパックを背負って島に来たときの私は、知り合いも誰もいない場所で、ほとんど観光客のような日々を過ごし、なんとなくここで暮らして1年か2年で辞めるのかな~と思いながら、気が向くと「定住したい」なんて言ってみたり、大甘もいいところ。

今の私はどうなのか、と言われると微妙ですが、こっちで酸いも甘いも味わって、色んな人の生き方を見て、やっぱり地方の価値がこれからどんどん戻ってくるという確信を得ることができました。

 

 

この前、母の告別式で、参列者にあいさつをした時も、「島で前に出ることがあるからなのか、しゃべるの上手だね~~!!!」と不思議な褒め方をされたことですし、ちゃんと目に見える成長もあるのかな、と自負するこの頃。

 

本当にここに来れてよかった。

ただただ今はそう振り返ります。

協力隊になってよかったです。

誰か伯方島に4月から来ませんか?(これが大事)

 

週末、有楽町でお待ちしております!!!

 

 

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伯方島で映画「きみはいい子」の上映会をします

こんにちは。ご無沙汰しております。

今週の11月22日(金)、今治市伯方島にて、映画『きみはいい子』の上映会を実施します。

 

『きみはいい子』上映会

11月22日(金)

昼の部 14:00-16:00(13:30開場)  会場:しまなみ交流プラザ

夜の部 18:30-20:30(18:00開場)  会場:鎮守の杜(旧北浦保育所

(観賞料) 大人1000円 / 高校生以下500円 / 小学生未満無料

※予約不要です。受付にて観賞料をお支払いください。

主催:しまなみ地域活性化推進協議会連合体

 

 

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劇中では、一見、身近にあたりまえにある社会問題がザクザク出てくるのですが、その全てが自然な距離感で生々しく映し出され、多くの人が、どこかに自分を重ね合わせる部分がある物語だと思います。

今だからこそ多くの人に観てほしい秀作です。

ぜひ、お誘い合わせの上、お越しください!