伯方島まにまに日記

愛媛県伯方島に移住した25歳女の日々のおしゃべりです。

最後にじっくり、こんなゆるい話がしたかった②

前回の①をまだ読んでいない方へ...

 

くだらないので別に読まなくても大丈夫です。(一応リンクはっとくね)

 

arisansun.hatenablog.com



 

 

②いざ、今治市

 

f:id:arisansun:20170817220524j:plain

 

 

かくかくしかじか、就活に出遅れたのち、「愛媛県地域おこし協力隊合同説明会in大阪」に参加した私。

あえて愛媛県を選んだというよりは、JOINのサイトで「協力隊ええやん!」と思ったときに、たまたま近日開催だった募集説明会がこちら、というだけでした。

「まあ、まずはどんなものなのか話を聞かなくちゃ分からん」ということで、会場に足を運んだのですが、想像していたよりも同世代の人がいないことを悟りました。(みんな就活をしてたからね)

 

とてもウェルカムな空気の中、協力隊を新規募集する各市町村の紹介を聞き、だいたい私が考えていたことと大差のない制度だということに安心したのですが、その後、ブースをまわって話を聞いていみると、「地鶏飼育の担い手」、「道の駅の商品開発・販促」、「若手不足の棚田の活性」とか、市町村によっては明らかに私ではない誰かを求めているミッションがある地域があることを知りました。(逆に何も知らなすぎる有吉)

 

 

「一応、今芸大生なので、何かしら地域PRにデザインとか使ってやってみたいと思っているのですが...」と相談して回った中で、「ぜひうちの地域に!」と言ってくれたところが数地域あったのですが、今治市はとくにイケイケだったと思います。(イケイケの意味知ってるか?)

 

本人が覚えているかどうか分かりませんが、行政の人と来ていた元今治市上浦町協力隊で、現・「パン屋まるまど」の店主の小松さんは、まだ何も分かっていない私に、「はい!採用!」と勝手に言い放ち、私をすっかりその気にさせてしまったのですごい人です。

 

この翌月ぐらいに、今度は高知県の移住フェアにも参加しましたが、そちらでは「お酒はどれぐらい飲めるのか?」ばかり行政担当者に聞かれ、キンキンのビールを日本酒みたいにちびちびとやれば、簡単にクラクラになる私なので、やはり愛媛今治で手を打とうと決めたのでした。

 

 

面接

 

今治港での面接の日は、たしか卒業制作展の会期一週間前ぐらいの時期で、未だ終わらぬ作品を京都に置いて、ほとんど血走った目で今治の地に降り立ちました。

面接会場では、なぜか、大学ホームページに掲載されていた私の木版画の写真を印刷している支所長が、「この作品には、どういう意味が込められているのか」と聞いてくるという、恥ずかしすぎてある意味圧迫面接ではないかというイベントが待ち構えていたのを覚えています。

でも私、面接とかは案外得意なので、朝飯前だったと思います。(ぐーで殴るぞ)

 

 

伯方島での新生活

 

伯方島での着任が無事に決まった私。

 

久々にお会いした大学の先生に進路を聞かれたので、伯方島というところで地域おこしをします、と言ったら

「そうなんか!何はともあれ働くんやな!偉い偉い!がんばれ!」と声をかけられ、芸大での「働く」のハードルの低さに頭が下がりました。なぜだか嬉しかった私。

 

卒業式を終え、両親に手伝ってもらって引っ越し作業をし、

必要な荷物はゆうパックでまとめて送る格安引っ越しを実行しました。

お金のない私の引っ越しは、もちろん夜行バスで。

面接のときも時間が無くて行けなかった伯方島に、3月おわりの引っ越しの日に初めて降り立ちました。

先輩隊員が案内してくれた新しい我が家は、古いアパートでしたが、ひとりでは部屋が余ってしまうような広々快適な1室で、窓からはキラキラの海と白い灯台が見えました。

先輩隊員に「お昼はどこにいく?」と聞かれ、「海鮮が食べたいです」と言ってつれていってもらった『みなとや』。

刺身定食がおいしかったので、その日の午後から手伝いに来てくれた両親とも『みなとや』に行くという、1日2回『みなとや』は、引っ越し初日の最初で最後の体験になりました。笑

ちなみに『みなとや』での私のおススメは「ちらし寿司」です。錦糸卵とうなぎをまぶした酢飯に海鮮がいっぱいのっていて最高です。友達や親が来たときは「上ちらし」で豪華にいきます。

 

 

tabelog.com

 

 

 

着任当初...

 

先輩隊員に連れられて、島の人で地域活動を頑張る人たちに挨拶まわりをしたり、なるべく人の集まるところに顔を出した最初の1ヵ月。

 

開山公園のふわっふわの桜と天国のような瀬戸内海が交わる光景を見たときには、言葉を失うほど感動し、歓喜しました。

会う人会う人に「今までの人生でみた桜の中で一番です!」と感想を言うと、それはオーバーすぎる!と島の人は笑ったのですが、本当に本当だったのです。

 

全国に胸を張って推せる桜の名所を有しているということを、島の人にもっとわかってもらいたい!と思っていた矢先、「開山公園の公園内マップがないので、作ってもらえないかな?」という声が。

そうそう!これこれ!こういうことがやってみたかったの!

と、飛びつくように始めた公園内マップづくりは、毎日のように春の開山に足を運び、徒歩での所要時間を測ったり、スケッチをしたり、写真を撮ったり、最高の日々でした。

青い空の下、桜と菜の花、つつじをはじめ、春の草花のおかげで、開山全体がいい香りに包まれる中、家族やお友達と、こじんまりお花見をする人たちの笑い声。

来年は、この人たちが私のマップを手に取って、お花見を楽しんでくれるのかと思うと、胸がはずみました。

 

 

f:id:arisansun:20180401124311j:plain

 

デザイン舐めすぎ

 

さあ、マップ制作!!!と、勢いよくはじめたものの・・・

 

市のお偉いさんたちには「島でデザインとかやりたい!」と勇んで語っていたくせに、デザインのデの字も知らない版画専攻の上、デザインソフトの使い方もよく分かっていない素人の極みだった私。今考えると、なぜあれほどまでに自信満々だったのか1ミリも分からないのですが、勢いと雰囲気で乗り切るべく、ひどいデータを仕上げていました。

イラレで切り抜いた手書きのイラストやテクスチャー用の画像を、パスで囲んで、切り抜き、ひたすらコピペコピペ...を何も気にせずに繰り返していたら、PCで開くのに5分以上かかるような激おもデータができあがったり、死んだレイヤーが裏に隠れていたりと、「なんで?なんで?」を繰り返していたのも今や昔のことですから~。(...怪しい)

 

結局、桜の時期が終わってダラダラ他のことをしていたこともあり、翌年の桜の開花時期を目前に、なんとか完成したマップ。

さらっとした上質な紙にきれいに印刷されて、当初のイメージ通りの、満足な出来栄えだったと思います。

 

f:id:arisansun:20180216093455j:plain

 

f:id:arisansun:20200309165604j:plain



今見れば、もっとこうしたら、ああしたら、もあるのですが、

毎年、開山公園にお花見に来る島外からのお客さんが、このマップを手に公園内をくまなくお散歩してくれる様子を見て、とても幸せな気持ちになっています。

 

 

 

そんなこんなで、着任当初から自由に楽しくやらせてもらってはいたのですが、何といっても世間知らずの新卒で、いきなり島の役場に席がおかれた私。

役場の「産業建設係」に机があり、水道料金の受付や事務をするアルバイトさんと、土木現場を行ったり来たりする職員さんの間にある私のデスクは、正直、のびのびした職場ではないことは明らかでしたし、

今まで存在すら知らなかった瀬戸内海の島で、絶対に無縁だと思っていた公務員の職場にいる私は一体なんなのか・・・と、急にフワフワした感覚になったりしていました。

 

 

 

地域おこし協力隊の存在感

 

「地域の中で、協力隊はいつでも協力隊。」と、地域おこし協力隊の初任者研修会で教えられたとおり、私はいつでも「地域おこし協力隊の子」として見られていました。

 

プライベートでも仕事中でも、特別な視線を向けられることが多い協力隊という存在は、人によってはストレスになってしまう人もいると聞きましたが、

この島のような地方の、そこそこの人口があるコミュニティでは、役割を持っていない人や、何かに定義されることのない人の方が少ないことに気づいたので、深く考えすぎることをやめにしました。

だって、●●海運の社長さんとか、●●屋の奥さんだとか、学校の先生、お寺の和尚さん、組長さん、テニスで全国にいった子などなど、この島の重要なパートを担う人たちは大勢いるのです。てゆうかほとんどがそうなのです。

だから、別に地域おこし協力隊なんてそこまで注目されてないよ!って思っちゃう。笑

新天地で注目されている気分になるだけであって。

多分もっと小さいコミュニティになったり、高齢化が著しい過疎地域になると、協力隊はもっと目立つ存在なんだろうなというのが私の体感でした。

 

 

 

3年間住んで感じた、伯方島のいいところ

 

私は伯方島に住みはじめて、今までで一度も「不便だな」と感じたことがありません。

これは、まじです。

地元埼玉の友達が遊びに来た時に言った「キレイだけどここには住めないな~」という一言にカチンときたくらい、「不便だから」で住めない理由が見当たらないのです。

橋代がかかることは家計的にネックになりますが、スーパー、コンビニ、ガソスタ、ドラッグストア、保育・幼稚園、学校(小~高)、銀行、飲食店(飲み屋含)、郵便局(3件も!)ホームセンター、車屋さん、本屋さん、文房具屋さん、コインランドリー、ヤマトの集配所などなど、生活に必要な大抵のことが島内で完結してしまう伯方島は、本当に超住みやすい!

 

橋がつながっている為に、アマゾンやZOZOTOWNの通販には離島料金も発生しないし、注文後、あっという間に到着します。

 

着任前に地図上のサイズ感だけを頼りに着任する島を決めた私だけど(まじか)、

この愛すべきサイズ感こそ、この簡潔な便利さや地域の活気を生んでいるような気がしてなりません。

 

なんていうのかな・・・

とてもこの感覚を形容しづらいのですが、小学校の教科書の例文とかに出てきた町が、実はめちゃめちゃ自然豊かな島だった感じ。(なにいってんの)

郵便局や本屋さん、学校、バス停、銀行なんかが、あるべきサイズとバランスにまとまっていて、その町に住み、その町で働く人が多い、って感じ。・・・わかります???笑 

 

私の地元のように、陸続きの都市に依存してしまった田舎は、やっぱり自分たちの半径10キロの生活を失っている地域が多いような気がしていて、島だからこそ失うものがあれば、島だからこそ着実に残るものもあるのではないか、と住んでみて気づいた気がしています。

本当の暮らしやすさっていうのは、近所にイオンがあるとか、コンビニが沢山あるとか、そういうことじゃないと思う、絶対。

 

私、欲しい本を注文するときは、伯方島の『いろは書店』を利用しているのですが、前に店内で雑誌を探していたら、小学生ぐらいの男の子が自転車でやってきて、ヘルメットをかぶったままステステと店内に入るなり、さらっと言ったんです。

 

「おばちゃん、いつもの!」

 

すると店主のおばさんが奥から、「ハイハイ、いつものね~」と言いながら、最新刊のコロコロコミックを持ってきました。

 

この光景があまりにチャーミングで最高だったので、また出会いたくてついつい用が無いのに足をのばしてしまうのですが、前述したように、アマゾンで簡単に本が買えてしまう昨今、こういう地域の本屋さんとか、商店を、ここに住む人たちで大切にしていきたいって本当に思います。

こういうところも、伯方島の良さだと思うから。

 

他地域の移住者の中には「伯方島はつまらない」という人もいるのですが、住んでみると、お金が島の中でまわっているって、これからの地方の在り方を考える上ですごく大事なことだよ~と思うのです。

 

f:id:arisansun:20200318163441j:plain

 

 

協力隊の1日(私の場合)

 

さて、私の毎日ですが、

フリーミッションの今治市ではとくに、協力隊活動の中で「必ずこれをする」という決まった動きはないので、私はいつも適当なスケジュールで動いています。笑

激ゆるです。

要は、やると決めたことや、お願いされたことが、予定日までに完遂できる!ことが1番大事で、もっと大事な地域の集まりや、打ち合わせがある日は、それに合わせて自分のことを進めていました。

この辺のバランスって本当に人それぞれだと思うし、変な話、今治市内でも、勤めている支所が違うと、動きやすさに差がでてしまうので、とても難しいですよね。

市の職員や協力隊個人のバランス感覚に委ねられすぎているので、もう少し安定した共通認識とかがあるといいな~と思ったりします。

 

【とある日のリアルスケジュール】

7:15  起床

8:10  得意のギリギリ出勤

8:20  ラジオ体操 or 今治タオル体操

8:30  メール・メッセージのチェック

9:00  依頼のあったデザインの制作

12:00 昼ごはんを食べに帰宅(ゴロゴロ)

13:00 鎮守の杜で次回イベントの打ち合わせ  

15:30 週末のワークショップイベントの準備・試作をしに児童館へ

17:00 支所に戻りFBにイベントの告知

    ホームページの更新

18:00 買い物して帰宅

19:00 NetFlix観ながらごはん

20:00 公務外(副業)のデザイン仕事

22:00 風呂

23:30 就寝

 

いつか伯方島の協力隊になる人がいたら参考にしてください。笑

 

 

 

 

もうやめようかな、と思った2年目

 

地域の人に本当によくしてもらった3年間。

続けられたのは、私が努力したわけでも、特別なことをしたわけでもなく、

地域の人がいつも気にかけてくれたからだと思っています。

 

「協力隊でよかった!」と「もうやめようかな」、と思うことが重なって、ネガポジのミルフィーユ状態だった2年目は、とくにそうでした。

 

大三島美術館での3か月にも及ぶ展覧会がはじまり、喜んでいたのも束の間、

支所での人間関係に悩んで、「役場いきたくない...」と思う朝が続いたり、

「鎮守の杜」を利用した天井画プロジェクトが始動して、ここからだ!というときに、

キモい脅迫電話がきたり、市の担当者とクラウドファンディングの立ち上げでもめたり、

なんか、私がやっていることって何なんだ??と自問自答を繰り返す日々でした。

 

今考えると、ウジウジして気が小さい自分にもムカつくし、全体的に2年目はムカつくこと多すぎでした。笑

今、あの変態から電話がかかってきても、フルボッコにできる自身あるもん。言いたい放題言われたことに本当に腹が立つぅぅう!!(思い出してきた)

 

まあ、そんなこんなでボロボロになってても、「怖かったらうちおいで」って連絡くれたり、私の悩みを聞いてくれて「わかるわかる、大丈夫」と言ってくれる人たちが近くにいてくれたので、なんとか生きていけたのです・・・

 

 

f:id:arisansun:20200319093900j:plain

 

 

 

色んな顔を持つ自分を知る

 

1年目に定着しつつあった「地域おこし協力隊の子」である私。

それがちょっとずつ色んな形に変わっていったのが、2年目~3年目でした。

 

ある小学生には「しましまのかなちゃん」と呼んでもらえて、(「アートの基地しましま」ワークショップをきっかけに)

年配の方から「おともだち」と紹介していただくこともあったり、

同世代の子たちには、仲間の一人として飲み会やお出かけに混ぜてもらえたことが嬉しかったです。

 

協力隊としての一面だけでなく、

「カラオケ仲間」、「フラ仲間」、「バドミントン仲間」、「英会話仲間」、

「アートクラブ仲間」、「飲み会仲間」、「ライブ仲間」、などなど... 

 

プライベートの色んなシーンで、違う人たちとつながるたびに、「私らしさ」は自分で定義してガチガチにするんじゃなくて、人との関係性ごとに、粘土みたいに変容していくものでいいと思えていきました。

無駄に若い私は、実体のない「私らしい」「私らしくない」を基準に色々選択したり、固執したりしていた部分が多かれ少なかれあったので、色んな場面、新しい体験、それぞれのグループの中で、少しずつ違う自分に出会えることが、新鮮でとても楽しかったのです。

だからといって、相変わらず1人の時間大好きなザ・ひとりっ子なので、その時間も大事に大事に。

 

今から地域おこし協力隊になろうと思っている人に、おせっかいに何かアドバイスをするとしたら、「色んな居場所をつくる!」ことをおススメします。

とくに地方のコミュニティは、今でも男女の住み分け、役割がキッパリしているので、

どちらにも関わるシーンを作ると、めっちゃ認知してもらえます。

(とくに、仲良くしていただいた島の女性は「習い事」つながりが多いかも)

私の場合、旦那さんや子どもがいないので、もし家族で移住する場合は、もっともっと広がりが生まれるはずなので、家族で移住する人はうらやましいな~と思っていました。笑

 

 

f:id:arisansun:20180301092537p:plain



 

 

さて、私の協力隊になってからの話はこんな感じでいいのかな?(半笑い)

活動の話というよりは、3年間の所感って感じで、申し訳ないのですが、

このブログは1年目からやっているので、細かい活動やらなんやら知りたい人はそちらでどうぞ!(雑)

 

今回も長くなってしまったし、まだまだ言いたいことは沢山あるのですが、

③これからのこと も書かないとなのではこの辺にしてみます。

 

最後までご拝読いただき、ありがとうございました!

 

 

③につづく・・・・!