伯方島まにまに日記

愛媛県伯方島に移住した25歳女の日々のおしゃべりです。

先日のイノシシが大炎上している件・・・

 

 

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玄関先にイノシシ、みんなびっくり (愛媛新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース

 

 

 

みなさんはご覧になったでしょうか??

先日、

そう、ソチ五輪に世間が沸いていたあの日、ワイルドのりくんの玄関先に配置作業をした例のイノシシがYahoo!ニュースになったのです。

こんなに短い記事なのに地域別ニュースの四国のコーナーでアクセスランキング2位に。すごいことです。

 

しかし、普段でさえ、うるさがたの意見が飛び交うYahoo!のコメント欄は大荒れ大時化、動物愛護議論大会になっていました。(なんちゅーこっちゃ!)

本人は、「Yahoo!ニュースになったんだって」と人から聞いてニコニコ喜んでいましたが、これは見せられないなあ・・・

 

「命の尊厳が感じられず不快」

「かわいそう」

「悪趣味」(これは当初私も思ったw)

などの意見は、まあしょうがないかなと思うんですが、

 

ワイルドのりくんへの人格否定や、「もともとイノシシの住処を侵食したのは人間なのに!」「食べないで飾るなんて最低・・・」という勘違いも生んでいます。

 

これは、罠にかかって死んでしまったり、車に当たってお亡くなりになられたイノシシだと言っておるでしょう!死んで時間が経ってしまうと、どうやっても食べれない

お肉になってしまいます。

このイノシシたちは、本来はそのまま埋めてもらうしかない訳ですが、それだって大変な苦労。普段は人が軽トラに乗せてきたイノシシを善意で、解体・加工して皆に配っている島の1人のおじさんが、じゃあ埋める前にちょっと人に見せてみよう!と思い立ってちょっとした遊び心とサービス精神で自宅玄関の前にちょこっと座らせただけだと言っても理解されないのでしょうか・・・泣(必死のフォロー)

それに島にイノシシがやってきたのは最近で、もともと天敵がなく、豊かな島では増えていく一方です。

 

島に来てからというもの、のりとさんのエコロジーな狩猟採集生活を観察してきました。内臓や、足、鼻まで食べるんだ、と言いながらイノシシを庭で解体すると最後に残った細かい肉を拾いにとんびがやってきて、綺麗にお掃除してくれるのです。自然のサイクルの中にこの人も混ざっているんだ、といつも感じます。

その生活に深い考えがあるわけでもなく、ただ日課になっているというだけだという所も良さであって。

命がどうとか語る以前に生活が自然に溶け込んでいる。。。(「リアル天然生活」という激しい雑誌をつくりたい)

 

このちょっとしたニュースを徹底的に攻撃している人は、私と一緒に解体の現場を見せてもらいましょう!そしたら、もっとこのオブジェ(苦笑)を楽しく観賞できるはずですよ。

 

 

 

 

絵の具ペタペタ楽しい案内看板作り

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伯方島新名所(!?)やぎと触れ合えるやぎ森山の地図看板を手直し。

4月に作らせてもらってからもう1年経とうとしているという・・・驚きです。

元祖・お手をするクレバーなやぎ!のナッツに加え、また2頭増えたということで、アクリル絵の具持って手直ししてきました。

あ~楽しいな~~~お絵かき楽しいな~~~~~と久々に童心に帰るひととき。

 

 

昔、埼玉の家の近所にも凶暴なヤギがいたっけな。犬を散歩してるときに頭突きされてひっくり返ったことあったな。(犬は逃走)

 

でも西部さんちのヤギはおしとやかで可愛いのよね。愛されてるし。

 

 

 

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ほんで新入りも可愛さが極まっている。

 

伯方島、尾浦にあるやぎ森山、とっても可愛くて楽しいので行ってみてくださいね~~

イノシシの配置における美的センスとは?

土曜日、北浦のワイルドのりちゃんから電話があり、

 

「死んじゃったイノシシのおっきいのが2頭いるんだけど、埋めちゃう前に、かなちゃんの美的センスでなんとかやってほしいな、と思ってるんだけどさ。ユンボもあるしさ」うんぬんかんぬん。

言っている意味が1ミリも分からなかったので、とりあえずいってみよか、という私。

 

行ってみたら巨大なイノシシが2体軽トラの上に寝ていました。

 

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ごろん。

 

 

・・・・・でか。

 

罠にかかったまま死んじゃってたみたいです。とりあえず、私は拝むのです。

それで何をするか聞いてみたら、この2体を座らせたりよりかからせたりして、イノシシのオブジェを展示したいというのです。

え~~~怖いでしょ普通に~~~

 

「昨日、羽生くんの演技をテレビで見てたら、やっぱり、イノシシを土に埋める前に、何か芸術的なこともしてみようと思って」

 

という思考回路ナゾの発言。

(どうやったら羽生くんとイノシシがつながるんだ)

 

「とは言ってものりとさん、わたしイノシシ並べる美的センスはないと思います。試したことないけど」

 

「え~?だって、芸術大学ではこういうことも習うんじゃないの?」

 

今浮かび上がる、世にも奇妙な芸大像・・・・。

 

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とりあえず並べてみた人。

大丈夫かこれ・・・・・・・

 

でもなんか、こうやって座るとちょとかわいいかもしれないなとかも思います。めっちゃぽっちゃりしとるんやね、イノシシって。

 

 

 

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ほら、ちょっとかわいい。

 

このあと、来年の年賀状用にのりとさんを横に座らせて、写真をとってあげました。

満足げにピースするのりとさん。

 

 

 

・・・・

地域おこしはこういった〈美的センス〉の提供も行っております。

【絶景】伯方島の桜の名所のマップが完成しました。

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みなさん!

 

ついに!

 

開山公園のマップが完成しました!よ!

 

この寒さの中、桜が咲き乱れる開山公園の写真を見ながら、「春よ、遠い春よ・・・」と、珍しくユーミンな気分になっていた私。とにもかくにも、桜に間に合って良かったです。

島に来たばかりのとき、開山の満開の桜を見て

「な、なんだ、ただの天国か・・・」

というオタクっぽい感想が自然に出てしまったことがすでに懐かしいです。

「今まで見た桜の中で一番!まじで一番です!!」と訴えているんですが、島の人は、「桜なんてどこにでもあるじゃろ、春は人が多すぎてかなわんわい」なんて言うんです。

ノンノン!桜で町おこしできているんだから、もっとこの波に乗っていけーーーい!

 

開山の桜がすごいのは、展望台から、桜のじゅうたんとしまなみの多島美を一望できること。視界の中にポワポワ揺れるピンクと瀬戸内のグラデーショナルブルーが一緒に入っているという夢みたいな景色なのです。

どうですか?開山行ってみたくなってきましたですか~???(日本語がんばれ)

 

開山公園のマップについては、着任すぐにぜひ作って欲しいとお話があって、ガンガンとりかかっていたんですが、当初手書きで描いていた遊具が壊れているので消去して欲しいという話が出て、当時photoshopを持っていなかった私は(何でだよ)、どうしよ~どうしよ~と悩みながら先延ばしにしていたわけです。

で、なんとかして4月には間に合わせねばということで、歩きまわったデータを整理してまた作り直し、今日に至ったわけでありますが、印刷の仕上がりもええ感じで、テンションがあがりました。

今まで開山には園内の案内マップが、分かりやすいとは言えないボロボロの看板だけだったので、こいつが実用性&宣伝効果をもたらしてくれれば・・・うれしいです!

 

ぜひ、今年の春は、この園内マップ片手に桜舞う開山を楽しく散策してみてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

アートとは何か??またちょっと考えています。

こんにちは。

今日は、

今まで、極力言及を避けてきたアートの話をちょっとだけしようと思います。

アートに興味がない、ご縁がない人も、面白い話ができるかは分かりませんが、良かったら読んでみてください。(注意:多分めっちゃ長くなります)

 

私自身、

小さい頃から絵を描いたり、粘土をいじったりするのが好きで、結局二十歳をすぎてもアートという分野にアンテナを張って関わりながら生きてきたってのに、「アートとは何か?」という素朴な疑問に自分なりの回答が出せていないという歯がゆさがありました。

「本当はこんなに面白いんだよ」と確信していながら、しゃべりだしたとたん、その面白さを抹殺してしまうような危うさや、結局「絵がうまいっていいね」「才能だね」と言われてしまうだけの悲しさを、語らないこと、触れないことで避けていたという経緯があります。

 

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「アート」という言葉がカッコつけているように聞こえるんじゃないか、とか、関わりのない人からしたら遠い所に重きを置いている人間に思われてしまうんじゃないかとか、そんな風に思うこともあります。

でも、1人になって冷静に考えてみると、アートが世界の見方を変えてくれたことは疑いようがなく、島で見ている、細やかな波の形や、空の色、風の温度感は私の触覚をくすぐって、アートのフィルターを通して、ひとつの壮大な作品の中にいるような感覚に変わっていきます。

この波形を、木版画で表現しようとしたら、いくつの版をどんな風に組み合わせたらいいだろう?

写真じゃ伝わらないこの空の色は、何色と何色を混ぜれば伝わるだろうか?

静かな池の脇に立って木枯らしに吹かれるときの言葉にできない気持ちを、どうしたら誰かに分かってもらえるかな?

 

そんな風に、取り巻く世界を自分の身体や五感のものさしで照らしあわせて見ることそのものが、実はひとつの答えだったんじゃ・・・・???と、やっと最近気づいたような気がします。

言いたいのはつまり、アートとは「見え方の提案」なのではないかということです。

 

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大学の卒業式の式辞で、哲学者の鷲田清一学長が長田弘という詩人の言葉を紹介してくださいました。

『見えてはいるが、誰も見ていないものを見えるようにするのが、詩だ』。

この「詩」の部分を、鷲田さんは「哲学」に置き換えて読んだそうです。

そして、これは「芸術」にも置き換えられるのではないかと、お話されました。

 

他にもすごくいい事をおっしゃっています。

よかったらこちらから。

平成28年度学部卒業式並びに大学院学位記授与式を開催 | 京都市立芸術大学

(注:化け物屋敷のような卒業生の写真の中に、フリーダ・カーロの仮装をしている私もいます)

 

私は学生時代、幼少期の記憶をテーマに版画作品を作っていました。

大人は、「大人になれば分かる」というけど、実際に大人になってみると、子どもの頃にしか見えなかったものが沢山あったような気がして、成長とともに失う世界を、まだ若いうちに留めておこう

という、今思えば、結構後ろ向きな制作をしていました。私は自分の中にある「記憶の像」にばかり囚われて、その風景やものが美しく再現できない事に苦しみました。「記憶とちがう」「もっと素敵だった」と思うほど、小さい頃の自分に今の自分が叶わないような気がして、創作の自由な気持ちがどんどん塞いでいく、苦しい時期がありました。

そんなときに、担当の先生が、「有吉さん、周りにある草とか木とか、スケッチするように彫刻刀で彫ってみたらど~う?」って提案してくださって、学内の植物をダイレクトに彫る、スケッチみたいな仕事をやってみました。

そうすると、足元にある自然のカタチがものすごく豊かなことに気がつきました。いつも見ていたイチョウの木の枝なりひとつとっても、グネグネと腕を広げていくパワーや溜め込んだ時間がひとつの面白い形になって私を見おろしているという不思議。

それを見ながら、自分はただ単に「記憶」を再現したかったんじゃなくて、小さい頃に五感で感じていたすごーく小さな小さな、でも震えるような感動を、またこの身体で感じたかったんだな、と自分の目的をはじめて知った気がしました。

 

それから、色んなものの見方が変わりました。自然の生み出すカタチはどこまでも予想外で、こんなものが普通に世界に転がっているのに、私が何か作った所で、その辺の雑草にも及ばないよな、と途方にくれる日もありましたが、「何かつくる」というレンズ越しに見る世界は、〈見えているのに、誰も見ていないものを見えるようにする〉という言葉にピタリと当てはまるような感じがします。

 

それでも、私は卒業するまで、やはりアートとは、出来上がった作品を見る人がどう感じるかに意味があるものだと思っていました。もちろん、それはすごーく大事なことで、結局、見る人がいるから私はアートに対してモチベーションを維持できたわけなんですが、地域おこし協力隊となって、島に移り住んで、作品も作らなくなってみると、自分にとってアートとは何だったのかとまた考えるようになりました。

 

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そして最初の話に戻りますが、アートは難しいことじゃなくて、「見え方の提案」なんじゃないかと、もっとカジュアルに考えられるようになりました。自分が今生きている場所をもっと楽しむための虫眼鏡みたいなものでいいやん。みたいな。

 

 

そんなことを1人で考えていた最近。

今年は何か新しいチャレンジとして、島でアートのワークショップをやってみたいな、と思っています。

いつも見ているものが、今日はちょっと違って見えることが、すごく面白いということを体験してもらえるようなもので、絵を描くのが得意とか苦手とか関係ない、もっともっとシンプルなやつを。

子供向けなら、例えば、その辺の道で歩きながら拾ったお気に入りのものを集めて、台や額を作って「拾い物美術館」をしてみたり、まちで目に留まったもので「いくつあるのか分からないもの」を数えて、発表しあうというのも面白そう。浜辺のゴミでオブジェを作ったり、手作り楽器の演奏会をしたり、、、妄想ははかどるな~(笑)

アートの島として外向けではなく、内向きに何か面白いプロジェクトが興せたらいいな、と思っています。

それのどこが地域おこしなんだ!と言われるかもしれませんが、ハッキリ言って、伯方島は結構まちで、島内に仕事もあるし、外国人観光客も多いので、外から人を呼ぶんじゃなくて、これから先、島から出て行く人を減らすこと、あるいは一度出て行った人が帰ってくる「故郷」をつくることが必要じゃないかと私は思っています。

子どもたちにとって、島の中で「何か面白いものを作った」「面白いものを見つけた」という豊かな体験をする時間が、いつか故郷を思い出すきっかけになるんじゃないかと思ったりするのです。

 

私が小学3年生のときに担任だった宇佐美先生は、臨時で1年だけやってきた若い男の先生で、自宅には素敵な陶芸の工房がある、本職がものづくりの人でした。

クラスメイトがたった10人だった私たちは、外遊びが好きで、よく裏山に行って秘密基地を作ったり山登りをしていたんですが、友達がねんど土の出る場所を見つけたことを先生に教えたら、先生が、じゃあ皆で掘りに行って何か作ろう!といって、皆でそこに出かけました。

学校に帰ってきてからその土をこねて、オリジナルの土の鈴(まるめた新聞紙の中にねんどの玉を入れて、その回りを覆うようにねんどでくるむという基本構造で、高熱で焼くと中の新聞が灰になって、中からコロコロ音が出るというもの)を作って、焚き火をおこして、焼き芋みたいにじりじり焼いてみました。うまく焼きあがったときのうれしい気持ちは、その工程や、豊かな自然の背景と一緒にたまに思い出してしまいます。(今思えば、若い先生だったのにすごい楽しいことを思いつく人でした!)

 

 まあ、私はおずおずと山から島へと出て行ってしまいましたが、私が「幼少期の記憶」に執着していたのも、単純な望郷の念だったのかもしれません。

 

最近の日本の教育方針では、芸術分野はどんどん縮小されているようです。

本当にアートはいらないものなんでしょうか。生活に関係ないものでしょうか。

1人でゼロから計画し成し遂げるというプロセスを実践できる科目は他にないような気がします。

世の中には、星空が美しいという人がいれば、ドブネズミを美しいという人もいて、私の亡くなった同級生はゴミの溜まった排水溝が美しいと言いました。

あらゆるものごとの多様性や価値観を認めるものがアートの特性のひとつだとすれば、これからの時代に必要なのは、「あっちは間違っている」「こっちが正しい」という、道徳に成績をつけるような教育ではなくて、「みんな違う」を面白がれる心のゆとりを作ってあげる必要があるんじゃないかと思ったりします。

 

一度、つくる側から離れてみると、見えてくるものもあるんだな、と少し冷静な私がいる分、今までうまく言語化できなかった私の好きなアートのことを、少しでも伝えられたらいいなと思ってブログに書いてみました。

 

案の定、すごく長くなっちゃったので、あくびして寝ちゃった人もいるかもしれませんが(笑)、それでもちゃんと最後まで書けてよかったです。

もちろん、アートの考え方は人それぞれで、決まった答えはないですよ。

そこも含めて、アートが好きです。

少しでも伝わったかなぁ・・・

 

また次から平常運転に戻ります。

 

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【移住10ヶ月】イノシシの皮をはぐまでになった女子

年末に車を買って、保険に入ったら、コツコツ貯めていた(というほどでもない)通帳残高があっちゅうまにスッカラカンになってしまって、また節約生活が始まっていますが、これでまた木版画の道具を買ったら、スポーンとお金が飛んでいって、私、本当にお金を貯めることなんてできるのかしら??と思い始めました。

お金に対しても能天気なので、深刻な悩みではないけれど、お金はいつなんどきであっても有るにこしたこたぁない。起業したいならなおさら。

 

 

ってことでまず、今年はアクセサリーの改良からはじめて、ネットショップを利用してみたり、色々と教えていただいたお店にあたって、販路をつくってみたり、ちゃんとやってみようかなと思います。

まにまにのアクセサリー買って壊れちゃった人、いつでも言ってくださいね。無料でお直ししますので。私もたまに取れちゃうときがあるので、この辺の耐久性も研究しないとプロじゃない。

しかし、「作らなきゃ」「パーツを拾いに行かなきゃ」と思えば思うほど海辺が遠い。この寒さのせいで、島なのに海辺が遠い。「とにかく行けばなんぼでも拾えるんだから!たまに行けば、いつもの浜もリニューアルされて新しいお宝いっぱいなんだから!」と叱咤激励しながらまず車を走らせることからですね。

 

して、早くも2月。

今日もまた凍えるように寒い・・・

朝からイノシシ解体の手伝いに行って、冷たい雨に降られながらナイフで切り刻むカラになった魂の入れ物。なんでか私が行くときは雨多し。私は超素人なので、皮を剥いだり、骨を抜いたり、そんなことをのろまにちょこちょこしているだけなんですけど、皮を剥いでいると皮膚の表面には見えない傷跡が内側に残っていたりします。のりさんは「オスだから喧嘩のあとかねぇ」と言います。

・・・お母さんのお腹から出てきて、駆け回ったり、他のオスと喧嘩したり、餌を探したり、島の山での生活はどんなだったんだろう??

と想像しながらナイフを滑らせる私。

それは、殺されて可哀想とか、そういう単純な気持ちではなくて、言葉で説明ができない、不思議な・・・。

  

幼稚園のときに

「じゅうを~てばなせ~ けもの~にまじれ~ いのちのみずをのんで~ いのちにめをさませ~♪」

という歌を先生が教えてくれて、私は今もこの一説のメロディが好きで家で口ずさんだりするのですが、合唱曲や童謡で検索してもでてこないし、「あれはなんだったんだろう?」と思っていたら、どうやら「あふりかのたいこ」という絵本がもとらしいです。

無感覚に消費していくスーパーの肉と、私が今日のお駄賃に持たせてもらった肉は、「食べる」という行為から広がっていくスケールが違うと思います。あらゆるものは勝手に食卓に並ぶんじゃないんだという実感は「いのちにめをさます」ことかも!??

なぁんて思ったり。(急に賢くなったような物言いだな)

 

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(これは晴れの日の80キロ級) 

 

つい1年前まで、まさか自分がイノシシの皮をはぐなんて思ってもみなかったし、めっちゃグロいと思ってたのに(笑)・・・何があったんだ私。めっちゃタフな人みたいに聞こえるやん。(自意識過剰)

大丈夫。「ぶおおおお!めっちゃ腸出てきたあああ」「ぎゃー!銃弾でてきましたけど!」と解体中1人でうるさいです。のりさん無口すぎて笑う。

相変わらずしまなみで濃厚な経験を積ませていただいています。

 

 

 

やっぱり奥深い世界

 

このブログを見てくださった方に、「普段と人格が違う」と言われているようで、恥ずかしい上に、やや困惑な日々です。

 

学生の頃は、誰にも見られていなかったし、煮えたぎる思春期の鬱憤がほとんど排泄のように文章にぶちまけられていたので(表現が最低)、自分の文章がどういう風に見られるのか分からなかったんですが、そうか、人格が違って見えるのか・・・と思い知らされました。

どっちが本当とかなくて、どっちも本当です。普段が猫っかぶりとかではないので(人見知りではありますが)、今後ともよろしくおねがい島す・・・。(久々に出た)

 

 

さて、全く話は変わるのですが、日本原種の野菜はセリとかウドとかワサビみたいな山菜が7種ほどだとか。江戸時代には、外来の人参や大根は美味しくなかったそうです。

 

昔っからタイムスリップするなら絶対に江戸時代(中期くらい)がいい!という位、何故だか江戸時代への憧れが止まらないんですが、お江戸の関連本を読んでいたら、そんな野菜の話が出てきて、ちょっとがっかり。(タイムスリップ前提の妄想をしているので)

うーん、山菜も好きだけど、やっぱり色んなお野菜があって、豊かな味覚がある世界に生きたい。今、これだけ日本の野菜や果物の味のクオリティが素晴らしいのは、先人たちが磨き上げてきた歴史ありきなんだなと思いました。

 

そもそも日本人は、オリジナルをゼロから生み出すのはちょっと苦手だけど、すでにあるものを最上級に磨き上げる技術は抜群なんだ〜なんて話を聞いたことがありますが、食の世界でも同じだと思います。

 

なんでこんな話をだらだらしてるのかというと、昨日、瀬戸内しまのわユースのイベント「Go to the next stage!」で、しまなみ食材を使った豪華料理を楽しんできたからです!!ヒューヒュー!日本の食文化最高!ビバ!って気分なのです。(語彙力)

 

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この前、うちの島に遊びに来ていた、あみちゃんマンが制作した皿です。ガタついて重いけど、大変味わい深いマイ皿を持参して腕ききのシェフたちが美味しく作った料理をのせました。

もっと素敵に盛りたかった、、、欲張りすぎた、、、もっとインスタ映えしたい。(私のインスタをチェックしている母親から「ろくな写真がない」とダメだしを食らっています)

 

それにしても鯛やタコなどの魚介、柑橘、野菜、島イノシシ。どれも素材が生きていて、ほっぺたがボタボタ落ちるような美味しさでした。やっぱり食は楽しいな〜 こればっかりは一生飽きないわ。(ダイエット宣言の10億倍信頼のおける発言)

 

地域活性化という漠然とした概念を前にすると、半開きの口からよだれが垂れている私も、食のトピックになると目がギョロつきます。

これだけ美味しい食材があるということは、豊かな土地があり、そこに携わる人がいて、美味しく食べる消費者がいるということ。当たり前だけど素材はいっぱいあるんだよね、なんでもできるよね、と思えました。

マジで、信頼できるのは一次産業。食です! 震災直後に、大慌てでスーパーで品物を買い占めるオバはんにはならんぞ私は!!!

 

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デザインも料理も、ここでもっと楽しめそうな予感。

来月から、また木版画も始めようと思うので、島をテーマにした作品をお披露目できるように頑張ろう〜