ありがとう!島ぐらし1年★
伯方島にきて一年が経ちました。
バックパックにぎちぎちに詰め込んだ荷物をしょって島にやってきた一年前から今日まで、意外なことに「寂しい」とか「孤独だな~」とか思ったことがありませんでした。
一人暮らしも5年になり、いい加減慣れてきたというのもあるのかもしれませんが、名前も知らなかった島に住み、地域おこし協力隊という未知の仕事について、新しい人間関係を一から築いていく中で、そう思わせてくれなかった島の人たちには、感謝しかありません!
今年度から、伯方島の協力隊は私一人になりますが、1年間耕してきた土と、集めた種を芽吹かせることができるように引き続き、この地でお世話になります。
ささやかに第2回を迎えた「島の小さな映画会」のほうも無事に終え、今までの「人生フルーツ」「カレーライスを一からつくる」という映画に奇しくも共通していたテーマ、『できることは自分でやってみること』をもっと実践していきたいな~と思う春うらら。
島に住んでいると、生きること(生活)の大前提に触れ、学ぶことができるんだな、と実感します。まだまだ軽くタッチしたくらいだけど。
今年度もがんばります。
伯方島にお魚の研究機関があるってご存知かしら??
さて、私はお魚が好きです。(唐突)
毎年夏に、父の実家がある京都の加悦町に帰ると、必ず海水浴に行って、シュノーケリングします。
イソギンチャクとフジツボいっぱいの岩場に小さい魚が集まっている様子が可愛くて、捕まえたりするわけでもなく、ただ見ているだけで幸せいっぱい・・・
海なし県出身者からすると、海は、眺めて癒され、潜って癒され、おまけに美味しいお魚に癒されるパラダイスです。ちなみに海で食べるカップヌードルとおにぎりも天才的なおいしさだと思います。
しかし、お魚は好きでも、種類となると未だに疎くて、魚の漢字も全然書けません。合宿で行った島根の自動車学校に「鰤岡(ブリオカ)さん」というとてつもなく忘れられない名前の教官がいたことから「ブリ」の漢字は覚えました。笑
ただでさえ魚の種類や名前知らんのに、キジハタのこと「あこう」って言ったり、べラのこと「ぎざみ」って言ったり、うわあああああ!って感じです。(嘘、そんなんなってないです)
まったくもって由々しき事態。
憧れの海の近くに住んでいながら、瀬戸内海の魚について、私は全然勉強していないじゃないか!!!!
ということで、前からずっと中に入ってみたいな~と思っていた、伯方島にある「瀬戸内海区水産研究所」、(通称:稚魚センター)の見学に行って来ました。(わーい)
市役所職員、自治会長さんらと楽しく勉強させていただきました。
さて、ここは国立の研究機関で、昭和36年から瀬戸内海の魚たちの研究を行っている由緒正しき場所です。
「栽培漁業」という育てる漁業を研究し、全国に広めています。
ちなみに、全国ではじめて真鯛の人工飼育に成功したのはここ!!!
かつて、なかなか食べられなかった真鯛が、昨今、食卓によく登場するようになったのはここでの長年の研究の賜物なのです。ここから真鯛養殖は広まっていったんですね~~~。(NHK教育テレビ風の語りでしゃべっています)
これはオニオコゼという魚の赤ちゃん。かわいい。このホルマリン漬けほしい。
卵からかえってからの成長過程を記録しておくためのものだそうです。
今、水産研究所が力を入れて取り組んでいるものの1つが、このオニオコゼ。
背中のトゲに毒があり、見た目も茶色くてブサイクなんだけどおいしくて、この辺の食文化と根深い関わりがある魚なのです。ここで育った元気な稚魚を、大三島漁協と協力して放流を行い、その分布や、成長の様子を集約しています。ちなみに稚魚たちには目印がついていて、背中のトゲの何本目が抜かれているかによって、平成何年に放流したカサゴかが分かるのだそう。(当たり前だけどかしこい)
オコゼは大三島でとくに重宝されてきた魚。大山祇神社の女神様は、あまり容姿が麗しいタイプではなく、美しいものには激しい嫉妬心を抱いてお怒りになる神さまだったのですが(人間味がとまらん)
島の人がオニオコゼを謙譲すると、「私より醜いものがいるなんて!」と大変喜んだのだそうです。それ以来大三島ではよく食べられるんですって!
もう失笑が止まらないオコゼ・・・。元気出せよな・・・。
長年の研究成果から、徐々にカサゴの生態や生育環境が分かってきたということで、これからどんどんオニオコゼが瀬戸内海で増えて、私たちの食卓にあがればいいな~と思います。じゅるり
↑オニオコゼの稚魚。案内してくださった博士の太田さんは、生後何日目から背中のトゲに毒が生まれるのかを調べるために自分の指を刺させる実験をしたことがあるのだそう。探求する人の好奇心はある意味クレイジー。
日本近海の魚が水質汚染や、魚群探知機の一般化などからどんどん減っていっている昨今、この研究センターでは、研究員のみなさんが知恵とアイデアを絞り、トライ&エラーを繰り返しながら、瀬戸内海の海を豊かにするため頑張っておられます。
素人からすると、魚の生態なんてだいたい知られているものだと勝手に思っていたし、卵から魚をかえしたり、稚魚を育てるのも、めだかや金魚を少し難しくしたぐらいかな~(舐めすぎ)と想像していたんですが、魚はまだまだ研究されていない、分からないことが多く、「何℃で生きられるのか」「何を食べるのか」、死んでしまったら「何がストレスだったのか」ひとつひとつ理由を探していく繰り返しなのだそうです。
例えば、カップルの親魚の水槽から流れてきた卵をろ過する網は、普通の網では卵を傷つけてしまいます。そこで、代わりにスーツの裏地を縫い合わせた手作りネットを使用しているというアイデア装置。「ここにある多くの装置は職員や研究員の手作りなんです。」とおっしゃっていました。最近は研究予算が減る一方なので、こういう工夫と努力も必要なんですって!(NHK教育テレビ風でしゃべっています(2回目))
鯖の稚魚↑
こういう水槽、ずっと見てられる・・・・
めっちゃ楽しい・・・・
トラフグの水槽にて
「怒らせてみましょう」といって触ったとたん、この顔(笑)めっちゃ可愛いです!(目はキレてる)お腹のざらざらを触らせていただきました。
フグは肉食の魚なので、水槽に入れておくとお互いを食い殺してしまうそうで、養殖フグの尾びれがないのは、噛み千切られているからなんですって。こわ・・・
だから、ここの水槽は、流れるプールみたいな一方向への水流を作って抑制しています。あ~あ、なんだか巨大ふぐしゃぶに見えてきた。(肉食界の強者たる余裕)
ここは魚だけでなく、魚がエサにするプランクトンも徹底した管理のもと飼育しています。今だからこそ、魚に最適なプランクトンを与えることができますが、何をえさにしているのか分からない頃の先人たちの苦労たるや・・・・
50年前に未知だったことが、今は当たり前になっているというのは、どの分野にもあることですが、ここで行われている研究が、私たちの何代も後になって、日本の海を変えていくかもしれないと思うとワクワクします。目先の生活を守る仕事も大切だけど、自分が死んだ後のことをイメージしながらできる仕事というのはカッコいいと思います。私の地元は林業が盛んでしたが、林業もまた、今日植えた杉やヒノキが大きくなって、お金になるのは50年、60年後というスケールの仕事です。農業もまた、いい土を残せば次の世代が豊かになる仕事。プロフェッショナルの仕事というのはその位スケールが大きいものだと改めて思いました。
この海洋研究所では、申し込み手続きをすれば、こうして見学ができるそうです。
海の見方が少し変わってとても楽しい見学会でした!
研究員のみなさん、これからも頑張ってください~!
(小学生の社会見学レポートレベルの締め)
先日のイノシシが大炎上している件・・・
玄関先にイノシシ、みんなびっくり (愛媛新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース
みなさんはご覧になったでしょうか??
先日、
そう、ソチ五輪に世間が沸いていたあの日、ワイルドのりくんの玄関先に配置作業をした例のイノシシがYahoo!ニュースになったのです。
こんなに短い記事なのに地域別ニュースの四国のコーナーでアクセスランキング2位に。すごいことです。
しかし、普段でさえ、うるさがたの意見が飛び交うYahoo!のコメント欄は大荒れ大時化、動物愛護議論大会になっていました。(なんちゅーこっちゃ!)
本人は、「Yahoo!ニュースになったんだって」と人から聞いてニコニコ喜んでいましたが、これは見せられないなあ・・・
「命の尊厳が感じられず不快」
「かわいそう」
「悪趣味」(これは当初私も思ったw)
などの意見は、まあしょうがないかなと思うんですが、
ワイルドのりくんへの人格否定や、「もともとイノシシの住処を侵食したのは人間なのに!」「食べないで飾るなんて最低・・・」という勘違いも生んでいます。
これは、罠にかかって死んでしまったり、車に当たってお亡くなりになられたイノシシだと言っておるでしょう!死んで時間が経ってしまうと、どうやっても食べれない
お肉になってしまいます。
このイノシシたちは、本来はそのまま埋めてもらうしかない訳ですが、それだって大変な苦労。普段は人が軽トラに乗せてきたイノシシを善意で、解体・加工して皆に配っている島の1人のおじさんが、じゃあ埋める前にちょっと人に見せてみよう!と思い立ってちょっとした遊び心とサービス精神で自宅玄関の前にちょこっと座らせただけだと言っても理解されないのでしょうか・・・泣(必死のフォロー)
それに島にイノシシがやってきたのは最近で、もともと天敵がなく、豊かな島では増えていく一方です。
島に来てからというもの、のりとさんのエコロジーな狩猟採集生活を観察してきました。内臓や、足、鼻まで食べるんだ、と言いながらイノシシを庭で解体すると最後に残った細かい肉を拾いにとんびがやってきて、綺麗にお掃除してくれるのです。自然のサイクルの中にこの人も混ざっているんだ、といつも感じます。
その生活に深い考えがあるわけでもなく、ただ日課になっているというだけだという所も良さであって。
命がどうとか語る以前に生活が自然に溶け込んでいる。。。(「リアル天然生活」という激しい雑誌をつくりたい)
このちょっとしたニュースを徹底的に攻撃している人は、私と一緒に解体の現場を見せてもらいましょう!そしたら、もっとこのオブジェ(苦笑)を楽しく観賞できるはずですよ。
絵の具ペタペタ楽しい案内看板作り
伯方島新名所(!?)やぎと触れ合えるやぎ森山の地図看板を手直し。
4月に作らせてもらってからもう1年経とうとしているという・・・驚きです。
元祖・お手をするクレバーなやぎ!のナッツに加え、また2頭増えたということで、アクリル絵の具持って手直ししてきました。
あ~楽しいな~~~お絵かき楽しいな~~~~~と久々に童心に帰るひととき。
昔、埼玉の家の近所にも凶暴なヤギがいたっけな。犬を散歩してるときに頭突きされてひっくり返ったことあったな。(犬は逃走)
でも西部さんちのヤギはおしとやかで可愛いのよね。愛されてるし。
ほんで新入りも可愛さが極まっている。
伯方島、尾浦にあるやぎ森山、とっても可愛くて楽しいので行ってみてくださいね~~
イノシシの配置における美的センスとは?
土曜日、北浦のワイルドのりちゃんから電話があり、
「死んじゃったイノシシのおっきいのが2頭いるんだけど、埋めちゃう前に、かなちゃんの美的センスでなんとかやってほしいな、と思ってるんだけどさ。ユンボもあるしさ」うんぬんかんぬん。
言っている意味が1ミリも分からなかったので、とりあえずいってみよか、という私。
行ってみたら巨大なイノシシが2体軽トラの上に寝ていました。
ごろん。
・・・・・でか。
罠にかかったまま死んじゃってたみたいです。とりあえず、私は拝むのです。
それで何をするか聞いてみたら、この2体を座らせたりよりかからせたりして、イノシシのオブジェを展示したいというのです。
え~~~怖いでしょ普通に~~~
「昨日、羽生くんの演技をテレビで見てたら、やっぱり、イノシシを土に埋める前に、何か芸術的なこともしてみようと思って」
という思考回路ナゾの発言。
(どうやったら羽生くんとイノシシがつながるんだ)
「とは言ってものりとさん、わたしイノシシ並べる美的センスはないと思います。試したことないけど」
「え~?だって、芸術大学ではこういうことも習うんじゃないの?」
今浮かび上がる、世にも奇妙な芸大像・・・・。
とりあえず並べてみた人。
大丈夫かこれ・・・・・・・
でもなんか、こうやって座るとちょとかわいいかもしれないなとかも思います。めっちゃぽっちゃりしとるんやね、イノシシって。
ほら、ちょっとかわいい。
このあと、来年の年賀状用にのりとさんを横に座らせて、写真をとってあげました。
満足げにピースするのりとさん。
・・・・
地域おこしはこういった〈美的センス〉の提供も行っております。
【絶景】伯方島の桜の名所のマップが完成しました。
みなさん!
ついに!
開山公園のマップが完成しました!よ!
この寒さの中、桜が咲き乱れる開山公園の写真を見ながら、「春よ、遠い春よ・・・」と、珍しくユーミンな気分になっていた私。とにもかくにも、桜に間に合って良かったです。
島に来たばかりのとき、開山の満開の桜を見て
「な、なんだ、ただの天国か・・・」
というオタクっぽい感想が自然に出てしまったことがすでに懐かしいです。
「今まで見た桜の中で一番!まじで一番です!!」と訴えているんですが、島の人は、「桜なんてどこにでもあるじゃろ、春は人が多すぎてかなわんわい」なんて言うんです。
ノンノン!桜で町おこしできているんだから、もっとこの波に乗っていけーーーい!
開山の桜がすごいのは、展望台から、桜のじゅうたんとしまなみの多島美を一望できること。視界の中にポワポワ揺れるピンクと瀬戸内のグラデーショナルブルーが一緒に入っているという夢みたいな景色なのです。
どうですか?開山行ってみたくなってきましたですか~???(日本語がんばれ)
開山公園のマップについては、着任すぐにぜひ作って欲しいとお話があって、ガンガンとりかかっていたんですが、当初手書きで描いていた遊具が壊れているので消去して欲しいという話が出て、当時photoshopを持っていなかった私は(何でだよ)、どうしよ~どうしよ~と悩みながら先延ばしにしていたわけです。
で、なんとかして4月には間に合わせねばということで、歩きまわったデータを整理してまた作り直し、今日に至ったわけでありますが、印刷の仕上がりもええ感じで、テンションがあがりました。
今まで開山には園内の案内マップが、分かりやすいとは言えないボロボロの看板だけだったので、こいつが実用性&宣伝効果をもたらしてくれれば・・・うれしいです!
ぜひ、今年の春は、この園内マップ片手に桜舞う開山を楽しく散策してみてくださいね。
アートとは何か??またちょっと考えています。
こんにちは。
今日は、
今まで、極力言及を避けてきたアートの話をちょっとだけしようと思います。
アートに興味がない、ご縁がない人も、面白い話ができるかは分かりませんが、良かったら読んでみてください。(注意:多分めっちゃ長くなります)
私自身、
小さい頃から絵を描いたり、粘土をいじったりするのが好きで、結局二十歳をすぎてもアートという分野にアンテナを張って関わりながら生きてきたってのに、「アートとは何か?」という素朴な疑問に自分なりの回答が出せていないという歯がゆさがありました。
「本当はこんなに面白いんだよ」と確信していながら、しゃべりだしたとたん、その面白さを抹殺してしまうような危うさや、結局「絵がうまいっていいね」「才能だね」と言われてしまうだけの悲しさを、語らないこと、触れないことで避けていたという経緯があります。
「アート」という言葉がカッコつけているように聞こえるんじゃないか、とか、関わりのない人からしたら遠い所に重きを置いている人間に思われてしまうんじゃないかとか、そんな風に思うこともあります。
でも、1人になって冷静に考えてみると、アートが世界の見方を変えてくれたことは疑いようがなく、島で見ている、細やかな波の形や、空の色、風の温度感は私の触覚をくすぐって、アートのフィルターを通して、ひとつの壮大な作品の中にいるような感覚に変わっていきます。
この波形を、木版画で表現しようとしたら、いくつの版をどんな風に組み合わせたらいいだろう?
写真じゃ伝わらないこの空の色は、何色と何色を混ぜれば伝わるだろうか?
静かな池の脇に立って木枯らしに吹かれるときの言葉にできない気持ちを、どうしたら誰かに分かってもらえるかな?
そんな風に、取り巻く世界を自分の身体や五感のものさしで照らしあわせて見ることそのものが、実はひとつの答えだったんじゃ・・・・???と、やっと最近気づいたような気がします。
言いたいのはつまり、アートとは「見え方の提案」なのではないかということです。
大学の卒業式の式辞で、哲学者の鷲田清一学長が長田弘という詩人の言葉を紹介してくださいました。
『見えてはいるが、誰も見ていないものを見えるようにするのが、詩だ』。
この「詩」の部分を、鷲田さんは「哲学」に置き換えて読んだそうです。
そして、これは「芸術」にも置き換えられるのではないかと、お話されました。
他にもすごくいい事をおっしゃっています。
よかったらこちらから。
平成28年度学部卒業式並びに大学院学位記授与式を開催 | 京都市立芸術大学
(注:化け物屋敷のような卒業生の写真の中に、フリーダ・カーロの仮装をしている私もいます)
私は学生時代、幼少期の記憶をテーマに版画作品を作っていました。
大人は、「大人になれば分かる」というけど、実際に大人になってみると、子どもの頃にしか見えなかったものが沢山あったような気がして、成長とともに失う世界を、まだ若いうちに留めておこう
という、今思えば、結構後ろ向きな制作をしていました。私は自分の中にある「記憶の像」にばかり囚われて、その風景やものが美しく再現できない事に苦しみました。「記憶とちがう」「もっと素敵だった」と思うほど、小さい頃の自分に今の自分が叶わないような気がして、創作の自由な気持ちがどんどん塞いでいく、苦しい時期がありました。
そんなときに、担当の先生が、「有吉さん、周りにある草とか木とか、スケッチするように彫刻刀で彫ってみたらど~う?」って提案してくださって、学内の植物をダイレクトに彫る、スケッチみたいな仕事をやってみました。
そうすると、足元にある自然のカタチがものすごく豊かなことに気がつきました。いつも見ていたイチョウの木の枝なりひとつとっても、グネグネと腕を広げていくパワーや溜め込んだ時間がひとつの面白い形になって私を見おろしているという不思議。
それを見ながら、自分はただ単に「記憶」を再現したかったんじゃなくて、小さい頃に五感で感じていたすごーく小さな小さな、でも震えるような感動を、またこの身体で感じたかったんだな、と自分の目的をはじめて知った気がしました。
それから、色んなものの見方が変わりました。自然の生み出すカタチはどこまでも予想外で、こんなものが普通に世界に転がっているのに、私が何か作った所で、その辺の雑草にも及ばないよな、と途方にくれる日もありましたが、「何かつくる」というレンズ越しに見る世界は、〈見えているのに、誰も見ていないものを見えるようにする〉という言葉にピタリと当てはまるような感じがします。
それでも、私は卒業するまで、やはりアートとは、出来上がった作品を見る人がどう感じるかに意味があるものだと思っていました。もちろん、それはすごーく大事なことで、結局、見る人がいるから私はアートに対してモチベーションを維持できたわけなんですが、地域おこし協力隊となって、島に移り住んで、作品も作らなくなってみると、自分にとってアートとは何だったのかとまた考えるようになりました。
そして最初の話に戻りますが、アートは難しいことじゃなくて、「見え方の提案」なんじゃないかと、もっとカジュアルに考えられるようになりました。自分が今生きている場所をもっと楽しむための虫眼鏡みたいなものでいいやん。みたいな。
そんなことを1人で考えていた最近。
今年は何か新しいチャレンジとして、島でアートのワークショップをやってみたいな、と思っています。
いつも見ているものが、今日はちょっと違って見えることが、すごく面白いということを体験してもらえるようなもので、絵を描くのが得意とか苦手とか関係ない、もっともっとシンプルなやつを。
子供向けなら、例えば、その辺の道で歩きながら拾ったお気に入りのものを集めて、台や額を作って「拾い物美術館」をしてみたり、まちで目に留まったもので「いくつあるのか分からないもの」を数えて、発表しあうというのも面白そう。浜辺のゴミでオブジェを作ったり、手作り楽器の演奏会をしたり、、、妄想ははかどるな~(笑)
アートの島として外向けではなく、内向きに何か面白いプロジェクトが興せたらいいな、と思っています。
それのどこが地域おこしなんだ!と言われるかもしれませんが、ハッキリ言って、伯方島は結構まちで、島内に仕事もあるし、外国人観光客も多いので、外から人を呼ぶんじゃなくて、これから先、島から出て行く人を減らすこと、あるいは一度出て行った人が帰ってくる「故郷」をつくることが必要じゃないかと私は思っています。
子どもたちにとって、島の中で「何か面白いものを作った」「面白いものを見つけた」という豊かな体験をする時間が、いつか故郷を思い出すきっかけになるんじゃないかと思ったりするのです。
私が小学3年生のときに担任だった宇佐美先生は、臨時で1年だけやってきた若い男の先生で、自宅には素敵な陶芸の工房がある、本職がものづくりの人でした。
クラスメイトがたった10人だった私たちは、外遊びが好きで、よく裏山に行って秘密基地を作ったり山登りをしていたんですが、友達がねんど土の出る場所を見つけたことを先生に教えたら、先生が、じゃあ皆で掘りに行って何か作ろう!といって、皆でそこに出かけました。
学校に帰ってきてからその土をこねて、オリジナルの土の鈴(まるめた新聞紙の中にねんどの玉を入れて、その回りを覆うようにねんどでくるむという基本構造で、高熱で焼くと中の新聞が灰になって、中からコロコロ音が出るというもの)を作って、焚き火をおこして、焼き芋みたいにじりじり焼いてみました。うまく焼きあがったときのうれしい気持ちは、その工程や、豊かな自然の背景と一緒にたまに思い出してしまいます。(今思えば、若い先生だったのにすごい楽しいことを思いつく人でした!)
まあ、私はおずおずと山から島へと出て行ってしまいましたが、私が「幼少期の記憶」に執着していたのも、単純な望郷の念だったのかもしれません。
最近の日本の教育方針では、芸術分野はどんどん縮小されているようです。
本当にアートはいらないものなんでしょうか。生活に関係ないものでしょうか。
1人でゼロから計画し成し遂げるというプロセスを実践できる科目は他にないような気がします。
世の中には、星空が美しいという人がいれば、ドブネズミを美しいという人もいて、私の亡くなった同級生はゴミの溜まった排水溝が美しいと言いました。
あらゆるものごとの多様性や価値観を認めるものがアートの特性のひとつだとすれば、これからの時代に必要なのは、「あっちは間違っている」「こっちが正しい」という、道徳に成績をつけるような教育ではなくて、「みんな違う」を面白がれる心のゆとりを作ってあげる必要があるんじゃないかと思ったりします。
一度、つくる側から離れてみると、見えてくるものもあるんだな、と少し冷静な私がいる分、今までうまく言語化できなかった私の好きなアートのことを、少しでも伝えられたらいいなと思ってブログに書いてみました。
案の定、すごく長くなっちゃったので、あくびして寝ちゃった人もいるかもしれませんが(笑)、それでもちゃんと最後まで書けてよかったです。
もちろん、アートの考え方は人それぞれで、決まった答えはないですよ。
そこも含めて、アートが好きです。
少しでも伝わったかなぁ・・・
また次から平常運転に戻ります。