伯方島まにまに日記

愛媛県伯方島に移住した25歳女の日々のおしゃべりです。

アートとは何か??またちょっと考えています。

こんにちは。

今日は、

今まで、極力言及を避けてきたアートの話をちょっとだけしようと思います。

アートに興味がない、ご縁がない人も、面白い話ができるかは分かりませんが、良かったら読んでみてください。(注意:多分めっちゃ長くなります)

 

私自身、

小さい頃から絵を描いたり、粘土をいじったりするのが好きで、結局二十歳をすぎてもアートという分野にアンテナを張って関わりながら生きてきたってのに、「アートとは何か?」という素朴な疑問に自分なりの回答が出せていないという歯がゆさがありました。

「本当はこんなに面白いんだよ」と確信していながら、しゃべりだしたとたん、その面白さを抹殺してしまうような危うさや、結局「絵がうまいっていいね」「才能だね」と言われてしまうだけの悲しさを、語らないこと、触れないことで避けていたという経緯があります。

 

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「アート」という言葉がカッコつけているように聞こえるんじゃないか、とか、関わりのない人からしたら遠い所に重きを置いている人間に思われてしまうんじゃないかとか、そんな風に思うこともあります。

でも、1人になって冷静に考えてみると、アートが世界の見方を変えてくれたことは疑いようがなく、島で見ている、細やかな波の形や、空の色、風の温度感は私の触覚をくすぐって、アートのフィルターを通して、ひとつの壮大な作品の中にいるような感覚に変わっていきます。

この波形を、木版画で表現しようとしたら、いくつの版をどんな風に組み合わせたらいいだろう?

写真じゃ伝わらないこの空の色は、何色と何色を混ぜれば伝わるだろうか?

静かな池の脇に立って木枯らしに吹かれるときの言葉にできない気持ちを、どうしたら誰かに分かってもらえるかな?

 

そんな風に、取り巻く世界を自分の身体や五感のものさしで照らしあわせて見ることそのものが、実はひとつの答えだったんじゃ・・・・???と、やっと最近気づいたような気がします。

言いたいのはつまり、アートとは「見え方の提案」なのではないかということです。

 

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大学の卒業式の式辞で、哲学者の鷲田清一学長が長田弘という詩人の言葉を紹介してくださいました。

『見えてはいるが、誰も見ていないものを見えるようにするのが、詩だ』。

この「詩」の部分を、鷲田さんは「哲学」に置き換えて読んだそうです。

そして、これは「芸術」にも置き換えられるのではないかと、お話されました。

 

他にもすごくいい事をおっしゃっています。

よかったらこちらから。

平成28年度学部卒業式並びに大学院学位記授与式を開催 | 京都市立芸術大学

(注:化け物屋敷のような卒業生の写真の中に、フリーダ・カーロの仮装をしている私もいます)

 

私は学生時代、幼少期の記憶をテーマに版画作品を作っていました。

大人は、「大人になれば分かる」というけど、実際に大人になってみると、子どもの頃にしか見えなかったものが沢山あったような気がして、成長とともに失う世界を、まだ若いうちに留めておこう

という、今思えば、結構後ろ向きな制作をしていました。私は自分の中にある「記憶の像」にばかり囚われて、その風景やものが美しく再現できない事に苦しみました。「記憶とちがう」「もっと素敵だった」と思うほど、小さい頃の自分に今の自分が叶わないような気がして、創作の自由な気持ちがどんどん塞いでいく、苦しい時期がありました。

そんなときに、担当の先生が、「有吉さん、周りにある草とか木とか、スケッチするように彫刻刀で彫ってみたらど~う?」って提案してくださって、学内の植物をダイレクトに彫る、スケッチみたいな仕事をやってみました。

そうすると、足元にある自然のカタチがものすごく豊かなことに気がつきました。いつも見ていたイチョウの木の枝なりひとつとっても、グネグネと腕を広げていくパワーや溜め込んだ時間がひとつの面白い形になって私を見おろしているという不思議。

それを見ながら、自分はただ単に「記憶」を再現したかったんじゃなくて、小さい頃に五感で感じていたすごーく小さな小さな、でも震えるような感動を、またこの身体で感じたかったんだな、と自分の目的をはじめて知った気がしました。

 

それから、色んなものの見方が変わりました。自然の生み出すカタチはどこまでも予想外で、こんなものが普通に世界に転がっているのに、私が何か作った所で、その辺の雑草にも及ばないよな、と途方にくれる日もありましたが、「何かつくる」というレンズ越しに見る世界は、〈見えているのに、誰も見ていないものを見えるようにする〉という言葉にピタリと当てはまるような感じがします。

 

それでも、私は卒業するまで、やはりアートとは、出来上がった作品を見る人がどう感じるかに意味があるものだと思っていました。もちろん、それはすごーく大事なことで、結局、見る人がいるから私はアートに対してモチベーションを維持できたわけなんですが、地域おこし協力隊となって、島に移り住んで、作品も作らなくなってみると、自分にとってアートとは何だったのかとまた考えるようになりました。

 

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そして最初の話に戻りますが、アートは難しいことじゃなくて、「見え方の提案」なんじゃないかと、もっとカジュアルに考えられるようになりました。自分が今生きている場所をもっと楽しむための虫眼鏡みたいなものでいいやん。みたいな。

 

 

そんなことを1人で考えていた最近。

今年は何か新しいチャレンジとして、島でアートのワークショップをやってみたいな、と思っています。

いつも見ているものが、今日はちょっと違って見えることが、すごく面白いということを体験してもらえるようなもので、絵を描くのが得意とか苦手とか関係ない、もっともっとシンプルなやつを。

子供向けなら、例えば、その辺の道で歩きながら拾ったお気に入りのものを集めて、台や額を作って「拾い物美術館」をしてみたり、まちで目に留まったもので「いくつあるのか分からないもの」を数えて、発表しあうというのも面白そう。浜辺のゴミでオブジェを作ったり、手作り楽器の演奏会をしたり、、、妄想ははかどるな~(笑)

アートの島として外向けではなく、内向きに何か面白いプロジェクトが興せたらいいな、と思っています。

それのどこが地域おこしなんだ!と言われるかもしれませんが、ハッキリ言って、伯方島は結構まちで、島内に仕事もあるし、外国人観光客も多いので、外から人を呼ぶんじゃなくて、これから先、島から出て行く人を減らすこと、あるいは一度出て行った人が帰ってくる「故郷」をつくることが必要じゃないかと私は思っています。

子どもたちにとって、島の中で「何か面白いものを作った」「面白いものを見つけた」という豊かな体験をする時間が、いつか故郷を思い出すきっかけになるんじゃないかと思ったりするのです。

 

私が小学3年生のときに担任だった宇佐美先生は、臨時で1年だけやってきた若い男の先生で、自宅には素敵な陶芸の工房がある、本職がものづくりの人でした。

クラスメイトがたった10人だった私たちは、外遊びが好きで、よく裏山に行って秘密基地を作ったり山登りをしていたんですが、友達がねんど土の出る場所を見つけたことを先生に教えたら、先生が、じゃあ皆で掘りに行って何か作ろう!といって、皆でそこに出かけました。

学校に帰ってきてからその土をこねて、オリジナルの土の鈴(まるめた新聞紙の中にねんどの玉を入れて、その回りを覆うようにねんどでくるむという基本構造で、高熱で焼くと中の新聞が灰になって、中からコロコロ音が出るというもの)を作って、焚き火をおこして、焼き芋みたいにじりじり焼いてみました。うまく焼きあがったときのうれしい気持ちは、その工程や、豊かな自然の背景と一緒にたまに思い出してしまいます。(今思えば、若い先生だったのにすごい楽しいことを思いつく人でした!)

 

 まあ、私はおずおずと山から島へと出て行ってしまいましたが、私が「幼少期の記憶」に執着していたのも、単純な望郷の念だったのかもしれません。

 

最近の日本の教育方針では、芸術分野はどんどん縮小されているようです。

本当にアートはいらないものなんでしょうか。生活に関係ないものでしょうか。

1人でゼロから計画し成し遂げるというプロセスを実践できる科目は他にないような気がします。

世の中には、星空が美しいという人がいれば、ドブネズミを美しいという人もいて、私の亡くなった同級生はゴミの溜まった排水溝が美しいと言いました。

あらゆるものごとの多様性や価値観を認めるものがアートの特性のひとつだとすれば、これからの時代に必要なのは、「あっちは間違っている」「こっちが正しい」という、道徳に成績をつけるような教育ではなくて、「みんな違う」を面白がれる心のゆとりを作ってあげる必要があるんじゃないかと思ったりします。

 

一度、つくる側から離れてみると、見えてくるものもあるんだな、と少し冷静な私がいる分、今までうまく言語化できなかった私の好きなアートのことを、少しでも伝えられたらいいなと思ってブログに書いてみました。

 

案の定、すごく長くなっちゃったので、あくびして寝ちゃった人もいるかもしれませんが(笑)、それでもちゃんと最後まで書けてよかったです。

もちろん、アートの考え方は人それぞれで、決まった答えはないですよ。

そこも含めて、アートが好きです。

少しでも伝わったかなぁ・・・

 

また次から平常運転に戻ります。

 

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【移住10ヶ月】イノシシの皮をはぐまでになった女子

年末に車を買って、保険に入ったら、コツコツ貯めていた(というほどでもない)通帳残高があっちゅうまにスッカラカンになってしまって、また節約生活が始まっていますが、これでまた木版画の道具を買ったら、スポーンとお金が飛んでいって、私、本当にお金を貯めることなんてできるのかしら??と思い始めました。

お金に対しても能天気なので、深刻な悩みではないけれど、お金はいつなんどきであっても有るにこしたこたぁない。起業したいならなおさら。

 

 

ってことでまず、今年はアクセサリーの改良からはじめて、ネットショップを利用してみたり、色々と教えていただいたお店にあたって、販路をつくってみたり、ちゃんとやってみようかなと思います。

まにまにのアクセサリー買って壊れちゃった人、いつでも言ってくださいね。無料でお直ししますので。私もたまに取れちゃうときがあるので、この辺の耐久性も研究しないとプロじゃない。

しかし、「作らなきゃ」「パーツを拾いに行かなきゃ」と思えば思うほど海辺が遠い。この寒さのせいで、島なのに海辺が遠い。「とにかく行けばなんぼでも拾えるんだから!たまに行けば、いつもの浜もリニューアルされて新しいお宝いっぱいなんだから!」と叱咤激励しながらまず車を走らせることからですね。

 

して、早くも2月。

今日もまた凍えるように寒い・・・

朝からイノシシ解体の手伝いに行って、冷たい雨に降られながらナイフで切り刻むカラになった魂の入れ物。なんでか私が行くときは雨多し。私は超素人なので、皮を剥いだり、骨を抜いたり、そんなことをのろまにちょこちょこしているだけなんですけど、皮を剥いでいると皮膚の表面には見えない傷跡が内側に残っていたりします。のりさんは「オスだから喧嘩のあとかねぇ」と言います。

・・・お母さんのお腹から出てきて、駆け回ったり、他のオスと喧嘩したり、餌を探したり、島の山での生活はどんなだったんだろう??

と想像しながらナイフを滑らせる私。

それは、殺されて可哀想とか、そういう単純な気持ちではなくて、言葉で説明ができない、不思議な・・・。

  

幼稚園のときに

「じゅうを~てばなせ~ けもの~にまじれ~ いのちのみずをのんで~ いのちにめをさませ~♪」

という歌を先生が教えてくれて、私は今もこの一説のメロディが好きで家で口ずさんだりするのですが、合唱曲や童謡で検索してもでてこないし、「あれはなんだったんだろう?」と思っていたら、どうやら「あふりかのたいこ」という絵本がもとらしいです。

無感覚に消費していくスーパーの肉と、私が今日のお駄賃に持たせてもらった肉は、「食べる」という行為から広がっていくスケールが違うと思います。あらゆるものは勝手に食卓に並ぶんじゃないんだという実感は「いのちにめをさます」ことかも!??

なぁんて思ったり。(急に賢くなったような物言いだな)

 

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(これは晴れの日の80キロ級) 

 

つい1年前まで、まさか自分がイノシシの皮をはぐなんて思ってもみなかったし、めっちゃグロいと思ってたのに(笑)・・・何があったんだ私。めっちゃタフな人みたいに聞こえるやん。(自意識過剰)

大丈夫。「ぶおおおお!めっちゃ腸出てきたあああ」「ぎゃー!銃弾でてきましたけど!」と解体中1人でうるさいです。のりさん無口すぎて笑う。

相変わらずしまなみで濃厚な経験を積ませていただいています。

 

 

 

やっぱり奥深い世界

 

このブログを見てくださった方に、「普段と人格が違う」と言われているようで、恥ずかしい上に、やや困惑な日々です。

 

学生の頃は、誰にも見られていなかったし、煮えたぎる思春期の鬱憤がほとんど排泄のように文章にぶちまけられていたので(表現が最低)、自分の文章がどういう風に見られるのか分からなかったんですが、そうか、人格が違って見えるのか・・・と思い知らされました。

どっちが本当とかなくて、どっちも本当です。普段が猫っかぶりとかではないので(人見知りではありますが)、今後ともよろしくおねがい島す・・・。(久々に出た)

 

 

さて、全く話は変わるのですが、日本原種の野菜はセリとかウドとかワサビみたいな山菜が7種ほどだとか。江戸時代には、外来の人参や大根は美味しくなかったそうです。

 

昔っからタイムスリップするなら絶対に江戸時代(中期くらい)がいい!という位、何故だか江戸時代への憧れが止まらないんですが、お江戸の関連本を読んでいたら、そんな野菜の話が出てきて、ちょっとがっかり。(タイムスリップ前提の妄想をしているので)

うーん、山菜も好きだけど、やっぱり色んなお野菜があって、豊かな味覚がある世界に生きたい。今、これだけ日本の野菜や果物の味のクオリティが素晴らしいのは、先人たちが磨き上げてきた歴史ありきなんだなと思いました。

 

そもそも日本人は、オリジナルをゼロから生み出すのはちょっと苦手だけど、すでにあるものを最上級に磨き上げる技術は抜群なんだ〜なんて話を聞いたことがありますが、食の世界でも同じだと思います。

 

なんでこんな話をだらだらしてるのかというと、昨日、瀬戸内しまのわユースのイベント「Go to the next stage!」で、しまなみ食材を使った豪華料理を楽しんできたからです!!ヒューヒュー!日本の食文化最高!ビバ!って気分なのです。(語彙力)

 

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この前、うちの島に遊びに来ていた、あみちゃんマンが制作した皿です。ガタついて重いけど、大変味わい深いマイ皿を持参して腕ききのシェフたちが美味しく作った料理をのせました。

もっと素敵に盛りたかった、、、欲張りすぎた、、、もっとインスタ映えしたい。(私のインスタをチェックしている母親から「ろくな写真がない」とダメだしを食らっています)

 

それにしても鯛やタコなどの魚介、柑橘、野菜、島イノシシ。どれも素材が生きていて、ほっぺたがボタボタ落ちるような美味しさでした。やっぱり食は楽しいな〜 こればっかりは一生飽きないわ。(ダイエット宣言の10億倍信頼のおける発言)

 

地域活性化という漠然とした概念を前にすると、半開きの口からよだれが垂れている私も、食のトピックになると目がギョロつきます。

これだけ美味しい食材があるということは、豊かな土地があり、そこに携わる人がいて、美味しく食べる消費者がいるということ。当たり前だけど素材はいっぱいあるんだよね、なんでもできるよね、と思えました。

マジで、信頼できるのは一次産業。食です! 震災直後に、大慌てでスーパーで品物を買い占めるオバはんにはならんぞ私は!!!

 

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デザインも料理も、ここでもっと楽しめそうな予感。

来月から、また木版画も始めようと思うので、島をテーマにした作品をお披露目できるように頑張ろう〜

消費活動は神様にも。(伯方島とんど焼き編)

大学時代、ずっと版画をしていたわけではなくて、1年ぐらいは全然関係のないものを作っていたりしました。とくに半年間は、構想設計という芸大でも屈指の謎多き専攻に籍をおき、友達のぽんさん(前回のブログ参照)主演の映像作品を作ったり、合評のときにまったく作動しなかったという堂々0点のプログラミングなどをしていました。(思い出すだけで辛い)

その頃に、「マイ神棚」なるものを作ったのですが、「神」という恐るべき宇宙規模のテーマ設定をしてしまったおかげで、できあがったもののお粗末さに、「ん?ゴミ?」と思わず声が出た作品になりました。

もともとは、インド人コックさんから頂いた、絵付けが雑すぎて顔がめちゃくちゃのシヴァとパールバティの置物と、完全にオネェ系に見えるサドゥーの置物がアイデアの源で、「こんなに雑で安っぽいのに、神様だから捨てられないんですけど・・・」という「神」なるものの静かなる脅迫によって、しかたなくインテリアにしていたという実体験からきたものでした。

こんなに安物が量産されていては、偶像の需要と供給のバランスが乱れて、世界中が神様だらけになってしまうじゃないか!!!!というコンセプトだったので、ゴミみたいな神棚を作り、それを神様だと断定してしまえば結構いいもの(捨てられないもの)になるんじゃないかという計画だったのですが、いくら自分で定義づけをしたところで、ゴミはゴミであって、神様にはなれないということを思い知らされる結果となりました。

 

しかし、そんな私の杞憂とは裏腹に、日本人は賢いのだと気づきました。

1年お世話になった神様に、お礼を言って、きちんとさようならができる機会が用意されているおかげで、インフレーションはセーブされています。なんてけじめのある文化なんだろう。(インドでも一応河に流したりするみたいなんですが、燃やすほうがいいよね)

日曜日に伯方島の北浦でのとんど焼き(全国的には「どんど焼き」)に参加したのですが、それぞれが正月飾りや注連縄飾りを持ち寄って、きちんと焼いて気持ちを新たにしていました。焼いた灰を缶やバケツに入れて持ち帰り、家の周りにまくと、蛇が出なかったり、鏡餅を同じ火の中で焼いて食べると、一年病気をしないとか、はじめて知ることも多く、「有吉さんのお里ではなかった?」(お里 笑)と聞かれて、なかったなぁ・・・どうしてなかったんかなぁ・・・と思ってしまいました。(そもそも地元に神社ってあったろうか)

 

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厄年の人たちが、おしるこを用意してくださり、あま~い朝ごはんを堪能しました。

思っていた以上に人出が多くて驚いたのとともに、みんなで顔を合わせる地域の行事はいいなぁと改めて。私も、北浦のおっちゃんから「いつ髪きったんで?」と言われるまでになり、去年一年の伯方島でのご縁をぎゅっと噛み締めました。

もちろん、喜多浦八幡神社に参拝をし(実は初詣です)、えんむすびのお守りを買い、また一年がはじまるな~と一息。

ちなみに、喜多浦八幡神社のお守りがすごくかわいいのですよ!

聞いたところ、いつもお世話になっている神社の若奥様のデザインで、サイズもコロンとしてて。

 

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うらはかわいい亀ちゃんで、表は祭りのはっぴのデザインにも使われている船です。

白とピンクの2色展開ですが、今年は女子力向上したいのでピンクを。(おなごぢからと読みます)

今まで数々の霊験あらたかな神社でえんむすびを買っていましたが、念が入りすぎてだめだったのかもしれない。いや、きっとそうだ。(きっとそうじゃない)

 

えんむすび守りの大量消費者として、ばかばかしい神棚ではなく、かわいいお守りをいっぱい作って散布したほうが面白かったのではないだろうか、と今さらながらに思い返したりしている小正月の有吉なのでした・・・。

 

 

明けましておめでとうございます!

新年明けましておめでとうございます。

 

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27日から長らくお休みをいただいて、島に友達が遊びに来たり、徳島で母と買い物にいったり、京都の加悦(宮津の近くです)のおばあちゃんの家に遊びに行ったりと、楽しんできました。

しばらく近況報告を怠っていたのですが、何よりの年末のビッグニュースといえば、車を手に入れたことです。(ヒューヒュー!)

ずっと探していたところ、車屋さんが自家用車にしていた車を格安で譲ってくださり、暖かい車内で音楽を聴きながら通勤という大変に御の字な年末。サンタクロースイズカミングトゥータウン!!!というわけです。

 

芸大の友達のあみちゃんと、ぽんさんが島に来ると言うので、その日に納車が間に合ったことで、連れて回れたのが助かりました。

夜は、どの店も混んでいたので、猪解体人のりとさんのとこから薄切りの猪肉を貰ってきて、うちで絶品すき焼きパーティーにしたのですが・・・

のりとさんは、ジージャンを肩から引きちぎったようなデザインのベストを年中着ているので、私は心の中で「ワイルドのりくん」と呼んでいるのですけど、本家すぎちゃんの100倍はワイルドなので、会った瞬間二人とも大興奮で、のりとさんちで檻に入った大量のたぬきにみかんをあげたり、テンションがあがって狸を棒で容赦なくつつきまくるワイルドのりくんの笑顔に絶叫したりと、楽しげな島暮らしを存分に体験してもらえたと思います。

ドルフィンファームで餌やり体験をしたり、亀老山、大山祇神社などなど、盛りだくさんのツアーだったはずなのですが、

帰宅したぽんさんから「いろいろと充実した島旅行でしたが、一番盛り上がったのはやはり、のりとさんの家でしたね」

と、のりとさん絶賛のメールと狸の動画が来ていて、変人向けのしまなみツアーでも作ろうかしらと思案しているところです。笑

 

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逆にお正月は、極端に穏やかで、おばあちゃんに今年の運勢(主に恋愛)を見てもらったり、編み物を教えてもらったり、くだらないテレビを無気力に見ながら冷えたぜんざいを茶碗に持ってスプーン(大きいほう)で食べ続けたりと、目も当てられぬほどの脱力感が漂う年明けを迎えました。

それでも、年は明け、2018年。平成も30年になってしまったわけですが。みなさんはいかがお過ごしでしょう?

やはり私は暴飲暴食がたたって、今までの口内炎はなんだったのかと思うほどに痛い、「胃腸の悲鳴」ともいえる口内炎ができてしまい、7日を迎える前から寂しくお粥を食べていました。この辺では、口内炎のこと、「けんびき」って言いますよね。

 

「ああ、かわいそうな私の胃腸・・・」と正月の愚かしい己を呪って、激烈に痛い足ツボマッサージをしながら、今年こそは!とダイエットを強く誓う私なのでした。(かれこれ50回目の誓い)

慌ただしい私のことなので、また色々とご迷惑おかけすると思いますが、本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

アウトドア八十八箇所

 

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さて、「アウトドア般若心経」は、みうらじゅん氏のすばらしい功績のひとつ。

般若心経に登場する全ての漢字を求めて、近所の街の看板から日本各地津々浦々をまわり、見つけた漢字の写真を撮って般若心経を完成させるというものです。

まったくバカバカしいと思われる代物ですが、「マイ仏教」を読んでいると、何か確信をついているようなついていないような。深いような浅いような。最高なのです。

 

四国八十八箇所巡りは、もともとゴリゴリのアウトドアコンテンツなので、わざわざ「アウトドア」をつけるのはおかしな話なのですが、適当なタイトルが思いつかなかったので雑に言い切ってみました。(枕でみうらじゅんの話がしたかっただけ)

 

ところで島で四国八十八箇所めぐりができることは皆さんご存知でしょうか??

この辺の島にはどこかしこにあるのですが(大島が有名)島内に小さい札所が沢山あって、全部に「八十八番大窪寺」みたいな感じで同じ名前がついています。伯方島も、阿波、伊予、土佐、讃岐にエリアが分けてあって、そこここに、小さな札所があるというかわいいお遍路です。

4月に、木浦の14箇所ほどを回って、今日は北浦の20箇所くらい?を回りました。朝から北浦の自治会長が一緒だったので、迷いの無い道順でサクサク進み、おしゃべりしながら気づいたら6キロ程歩いていました。

 

歩きながら治さんが教えてくださる昔話がすごくおもしろいのですが・・・

例えば、

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今から80年以上前に、塩で財を成した偉人がいたそうで、その人は費用を全部自分でもって(おそらく当時4.5万円くらい)島の子どもたちを京都や大阪へ修学旅行に行かせてくれたのだそうです。それも、一年や二年ではなく、何年も続き、当時の島の子どもたちにとっては、足を向けて寝ることができない有り難いお方だったのだとか。

今は閉校している北浦小学校の横に立つ像を見ながら、「金持ちでも、なかなかできることじゃなかろう」と教えてもらいました。

そんな話をしながら、お接待のある次の札所に行くと、91歳のおばあちゃんが「私が最後の修学旅行生じゃけんね~、、、楽しかったよ。はじめてみるもんばっかしで!」とうれしそうに教えてくれました。

点と点がつながっていく素敵な話だな~・・・。ちょっとジーンときました。

 

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(紫のジージャーにみきゃん軍手がいかす・・・)

 

そんなこんなで、また歩いていると、「やさ地蔵」のところに来まして、ここでも泣ける昔話がありました。

500年くらい前に、北浦のあたりで薩摩藩からきた船が難破して、陸に乗り上げたところ、その船には大事な「砂糖」が積んであって、それを誰かがこっそり盗んでみんなで舐めてしまったそうです。その甘く珍しい砂糖は、薩摩のお殿様が偉い人に献上する大事なものだったとかで、船に乗っていたお侍さんがめちゃめちゃに怒って、「犯人が出てこなかったら、この村の者全員の首を切るぞー!」と脅したんだそうです。

そしたら、自首したのは、18歳の弥三郎さんという村の青年で、みんなの罪を被ってかわりに打ち首になったのでした。

今日行った所には、北浦村の人が泣きながら建てた「やさ地蔵」があり、手を合わせながら、「こういう昔話はずっと残さなきゃだめだな~」と思ったりしました。

 

歩いている間に、ここは昔塩田だったところで、この人は北木島で財をなした人の像で、この辺は、その人が採ってきた北木島の石で、あの山は11面山で、三十三体のお地蔵さんがあるじゃろう、という具合に次々に教えてもらい、全く飽きることなく歩けました。すごく楽しかった~ へぇ~ボタン欲しい (古い)

 

消え行く地域の面白いモノ・コトを残すために私に何ができるだろう???と日々考えていますが、今日同行してくださったお二人のように、熱心に伝えようとしくれる人がいて、伯方島愛する人たちがいて、面白いモノ・コトがあって、あとはアクションだなと思います。

 

じゃあいつやるの?

いまでしょ!(しーん)

 

という状態です。はいはい、こっからですこっから!

 

とにかく島四国八十八箇所はいいですね。とっても楽しかったです。

またお接待のある日に回りたいな・・・

いやしんぼ有吉・・・

 

 

 

 

 

島にきて変わった台所

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昨日は誕生日でした。

一昨日の深夜に、冷蔵庫のイノシシ肉をなんとかしなきゃ・・・とこたつから重い腰をもちあげ、ぐつぐつチャーシューを作っていると日付がかわり23歳になっていて、なんとなく島の生活が板についてきた自分に驚いたりしました。

 

1人暮らしは5年目ですが、この4月からは、台所でドッタンバッタンクックパッドとユーチューブのハウツー動画片手に格闘の日々でした。

はじめてイノシシの解体の見学をした夜にイノシシ肉でスペアリブ煮込みを作って、一人でしがんだ、涙の食卓。

狙ったキスは釣れずにグチだけが釣れたという意味深な船釣りのあとの、3時間のお魚調理。ステンレスの包丁にはじめて声を出してキレたんだっけなぁ。

夏にもらったアワビは、犬の口の横のビロビロみたいなのが沢山動いていて、本当に気持ち悪くて、休日の台所で「おりゃーーーーー!!!!」と叫びながらバターソテーにしました。あまりの美味しさに卒倒したのも懐かしいです。キモいとか言ってごめんなさい。ありがとう命。

お盆にカキ打ちに連れて行ってもらって、ミルキーな岩カキで豪勢なカキディナーをしたことも、本当に贅沢だった~。

タコの調理も、トライアスロンのタコ飯作りでお母さんたちから教えてもらっておちゃのこさいさいになったけど、この前いぎす豆腐を作って、失敗しちゃったので、誰かに教えてもらいたいな~と思っているところです。

 

そうそう、この前、ずっと欲しかったキンキンの出刃包丁を、徳島の知り合いの方から頂いて、最近はお魚との付き合いがより楽しくなってきました。名前入りで切れ味も素晴らしい、昔ながらの鍛冶屋さんのものです。

 

魚と言えば、鯖か鮭か、貝ならあさりかしじみか、みたいな場所で育っていると、ありえなかった魚の種類、味の違い、捌き方、おいしい食べ方。

まだまだ勉強中ですが、我が家の台所も、ちょっとずつですが島仕様になってきているみたいです。

まわりには若い若いと言われるけど、私が小さい頃は23歳は立派な大人だと思っていたものです。自分の未熟さ、至らなさを思い知る毎日ですが、

昨日知らなかったことを知っている、昨日できなかったことをできる、っていう風に、毎日ちょこちょこ勉強やチャレンジのできる大人になっていきたいと思います。

 

「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぶ」

 

と昔教えてくれたのは、若い禅僧の人で、その人のおばあちゃんが言っていた言葉だそうです。ズドン!と胸打たれて、私もそうでありたいなと思うようになりました。(全然できてないけど)

23歳も引き続き生きます。

季節に敏感に、適度に力を抜いて。笑顔の多い1年になるといいな。