伯方島まにまに日記

愛媛県伯方島に移住した25歳女の日々のおしゃべりです。

宿題の意味をかんがえる時間

8月3日(土)、今回のピカソタイムは緊急特別企画「夏休みポスター★タイム」。

陸地部では波方で1年目から講師をさせていただいましたが、今年は伯方島のお母さんたちのリクエストに答え、こっちでもポスタータイムを臨時で実施することになりました。児童館の先生方、ありがとうございました。

 

このブログでも以前、「ポスター課題」はほとんど悪である、という持論を展開していますが(そこまで言ってない)、お母さんも子どもも、悲鳴をあげているこの宿題文化、一体全体いつごろ生まれたんでしょうか。

 

↓以前のブログ『〈夏休みの宿題ポスター〉のジレンマ』

http://arisansun.hatenablog.com/entry/2018/08/01/153335

 

 

私は保護者でも生徒でも、先生でもないので、学校に文句を言いたいわけではないですが、やはり、何回ポスタータイムを子どもと一緒にやってみても、全国的に制度化しているこの宿題には疑問しかありません。

 

「絵を描く」という宿題は、子どもたちに、少なからずクリエイティビティを求めているはずです。絵を描くことを宿題にすることが問題なのではなくて、宿題を出す学校側が、1ミクロのクリエイティビティも持ち合わせていないということが問題ありすぎです。これは教育ではありません。

ポスターのコンクールがあるから、みなさんこちらの「納税」「年金」「選挙」「下水道」の課題の中から1つ選びましょう。という、ただ「あるから」「いつもやっているから」以外の理由がまるでない宿題、それが簡単なものなら私も「しょうがないからやりなさい」と言うかもしれませんが、ポスターの宿題は本当に大変なことです。

 

しかも題材は、「納税」「年金」「選挙」などという、なんとなく大人のいやらしい思惑が透けて見える課題ばかり。(これは私の小さい頃からあるので、もう20年近く同じことをしているということです。宿題も時代に合わせて変っていくべきです。)

 

さらに加えれば、私はここ3年、毎年ポスターの宿題の指導をしてきましたが、画材を正しく使える子がほとんどいません。パレット、筆洗、絵の具、筆、全てに基本の使い方があります。セオリー通りにきちんと使うべき、とは思いませんが、パレットに仕切りがあったり、筆洗にいくつも部屋があるのには使いやすいように工夫された意味があるので、せめてベーシックなことは教えた上で宿題にしてほしいと思います。

言うなれば、段落や、句読点の使い方を知らない子に、作文の宿題を出しているようなものです。

 

以上ののことは3年やってきて、大体分かっていたことなので、今回は「ポスターの描き方」「絵の具の使い方」という手描きのプリントを携えて挑みました。その場でじっくりよんでくれた子はほとんどいませんでしたが笑(失敗じゃん)、まあ、今度ポスターを描くときにでも参考にしてくれ・・・という気持ち。

 

 

別に大人になればポスターの宿題のことなんか忘れちゃうし、何の問題もないじゃないか~と言ってしまえばそこまでなのですが、

せめて、これだけの子どもたち(とお母さんたち)の苦労や頑張りが、何か意味のあるものになってほしいと思います。

はじめて使う絵の具や、はじめての大きな絵が、宿題によって嫌な思い出になってしまうのは、本当に悲しいことだと思います。

事実、多くのお母さんたちが「いつもポスターの宿題のことで大喧嘩になっちゃうんです・・・」と言っています。親子関係にも悪影響この上ない!!

 

でも!

今回も沢山の子どもたちが、一所懸命頑張りました!

苦悶の表情で「もう無理!!!」と叫びながら、絶望しながら、ポスターを完成させた子どもたちには、せめて精一杯の褒め言葉を、と。

「よく頑張ったね!」「えらかったね!」「すごくいい出来上がりになったね!」

 

 

私、もし親になったら、意味のある宿題を求める変なモンスターペアレントにならないか心配です。。。。